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(2004/10/25プロパン・ブタンニュース)

宮崎商事会長 徳島県LPガス協会会長
宮ア 武氏
危機感を抱いて「実事求是」

 宮崎商事の会長・宮ア武(たける)さんは、徳島県LPガス協会長でもある。宮アさんは「走りつづけて」―宮崎商事株式会社とともに―(平成13年刊)と「続 走りつづけて」―簡易ガス事業とともに―(平成14年刊)の自伝的著書がある。「走りつづけて」に次のような一節がある。
 「経営者が危機感を抱かなくなればそれは破滅への道を進んでいるといってもよい」。これは昭和63年に岳父の禅譲(ぜんじょう)で宮崎商事の社長に就任したときの決意表明の言葉である。それは徳島県でLPガス卸売業の宮崎商事がリテール(小売)へ転進する宣言でもあった。
 平成9年にLPガス法の改正案が示され、3年の猶予期間をおいて同12年4月1日に改正LPガス法が完全実施される。およそ半世紀にわたって安(あん)穏(のん)に過ごした業界だったが、護送船団方式の終焉を告げるものであった。変革の波は四国の徳島県にも例外なく押し寄せた。宮崎商事でも平成8年度までに22の販売店との協業化が進み、同12年には販売店との協業化が27店に及んだ。全国で進み始めた協業化の情報を聞くにつけリテールへの転換が誤りでなかったことを確信した、と宮アさんは言う。
 歴史観というか、鋭く時代を見る眼は、同時に業界の現場をつぶさに観察し、現場の声に耳を傾けることを怠らない。徳島県LPガス協会が発刊した電化対策マニュアル「電化は御免!」も、四国四県の有力7事業者による研究集団=火葉会(宮ア武会長)のLPガス給湯機の普及促進キャンペーンの成功、LPガス業者の原点というべきカーナビとドッキングした配送システムの実現(資源エネルギー庁構造改善事業)、70`cアルミ容器の提唱、これが実現されれば配送員の負担を軽減でき、合理化が可能等々、いずれも現場をよく知るものだけが言える「実(じつ)事(じ)求(きゅう)是(ぜ)」である。
 宮アさんは、ご自分のLPガス業界に生きた体験が少しでもお役に立つならば何からでも為さねばならない。自分を育てて下さったLPガス業界への恩返しだと言う。そして輸入量や生産量に対して1`c1円の拠出運動を展開したらよい。これを資金源として一般需要家にLPガスのクリーン性をPRしたらよいと言う。
徳島県協の「電化対策マニュアル」
 電力会社は電気関連業界や住宅産業関連業界を巻き込んで電磁調理器やエコキュートを前面に押し出してオール電化政策を進めている。これにわれわれLPガス業者が勝ち残るために徳島県LPガス協会は、実際に電化したお客さん宅に行って「電化住宅に関するアンケート」調査をした。その結果を基に議論を重ねて「電化対策マニュアル」をまとめた。電化対策は、LPガスの「守りの戦略&戦術」である。LPガスの創生期にわれわれの先達が1軒1軒訪問して客を開拓したように、今度は攻めるのではなく、守りのためにお客を訪問して日常的にガスの良さを訴え、それが地球環境を守ることになると説くのが電化対策の第一歩である。危機感をもってこの説得をしない業者は淘汰されるとマニュアルは述べている。
徳島火葉会の電温攻略作戦
 平成10年から同12年まで徳島県の有力7事業者が系列を超えて火葉会を結成。電化攻勢で混迷を深めるLPガス業界がなんとか乗り切るための組織だった。いつまでも論議を重ねてもただの飲み会になってしまう。そうならないためにやめる時期を決めておこうということで、平成12年末に解散することを前提に、なんともユニークな研究会が始まった。火葉会はまず電気温水器対策を手掛けた。電力会社は電気温水器のレンタル制度で攻勢をかけていた。火葉会は、実態調査、製品の研究、これを迎え撃つ理論の構築など、会員各自が分担して一つの指針を打ち出した。それが「湯〜1レンタル・電温攻略大作戦」である。
 また、平成12年10月には「湯〜1レンタルU・灯油給湯器対策」を打ち出した。火葉会は電気温水器対策で自分たちが掲げたレベルの実績を達成した。そして「百の議論より一つの実践」を終結のメッセージとして予定通りに解散したのだが、火葉会会員の業界の明日を憂うる気持ちは、今なおその発露を求めてやまない。火葉会の会長は宮ア武さんだった。
他日、徳島に行って文債を果たす 宮崎商事は、徳島市本社を拠点に、徳島県下に3営業所と関連直売会社2社をネットワークして事業展開している。現在の事業規模は、直売消費者軒数1万5,000軒、卸先販売店の消費者軒数が約5,000軒、合計約2万軒にLPガスを供給している。平成9年1月に認定保安機関、同10年2月に認定販売事業者、いずれも徳島県第1号で取得し、現在集中監視設置率は75%に達しており、認定販売事業者としての集中監視システム最終設置率の目標を既に達成している。 
 宮アさんとのこの対談は、氏が所用で上京された折に品川プリンスに投宿しているので、そこでやろうということになったのである。徳島に宮アさんを訪ねて現場に宮アさんがいる風景を描くべきだったと反省している。新聞記者は現場に立って臨場感あふれる記事をものするのが原則である。宮アさんのお人柄、立派な業績、そして優れた指導者ぶりは、そうしなければ描けるものではない。他日、徳島に行ってこの文債を果たしたい。

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