(プロパン・ブタンニュース 2002/1/14)

サガミ社長 水沢清行氏
蝶で埋め尽くす50周年
 あたらしき年のはじめは楽(たの)しかりわがたましひを養(やしな)ひゆかむ。新年と題する齋藤茂吉の短歌である。
 正月4日、御用始めである。神奈川県横須賀市衣笠町にある株式会社サガミの本社ビル二階の「蝶の広場」に取材に行った。この「蝶の広場」は平成5年春、同社の創立40周年記念事業の一環として新社屋落成を機に開設された。開設当初は日本国内に生息する蝶237種全種のほか、代表的な外国産の蝶も40種ほど展示した蝶の専門博物館としてスタートした。
 その後、参観者の要望もあって、子供たちに関心が高いトンボ200種、クワガタ39種、セミ32種、コガネムシ28種などが加わった。いずれも日本産の全種である。日本産の全種というところがこのユニークな博物館「蝶の広場」のオーナーであるサガミの水沢清行社長の「こだわり」のようだ。会社のパブリシティとして「蝶の広場」が提案されたとき虫の専門家として北海道から八重山群島、東は小笠原諸島に至る日本の全域の全種を収集するのに虫仲間の協力を得れば1、2年でできると考えたと言う。
 図鑑でしか見たことがないきれいな蝶、体長一センチにも満たない小さなクワガタを見るとこの世にこんなすてきな生き物がいたのかと、その出会いに感動した。そして水沢社長が言う「本物の持つ奥深さ」を噛みしめて、わが御用始を「蝶の広場」の取材に決めたのは正解だったと思った。
 全国に多くのLPガス会社があるが、このような文化を発信しているところはない。取材を終えての帰途、自動車に揺られながら今は亡きサガミの創業者故水沢誠三郎社長との架空対談を楽しんだ。「二代目は親父を尊敬しながら、明らかに初代を越えた」と言えば、誠三郎氏は持ち前の頑固さでまだまだと言いながら満面に笑みがほころんだ。サガミには21世紀の新しい風が吹いていた。
横山前横須賀市長も蝶の広場で釘づけ
 どんな会合でも3分でさっさと切り上げることで3分市長のあだ名を奉られた前横須賀市長横山和夫さんだが、ここ蝶の広場だけは例外だった。嬉しくて、楽しくてと、立ち去りかねて優に40分は蝶たちの標本の前に立ち尽くしたという。これといった宣伝をしたわけではないが、参観者は年間1000のオーダーを下らない。
 参観者にはいろいろな方がいる。老夫婦が蝶の広場の所在が分からず、今日で三度トライしてやっとたどり着いたと言っていた。また、ガスのお得意さんのご夫妻が蝶の広場をご覧になって、おたくのガスを使っているのを誇りに思うと言われたのにはこちらの方が感激してしまったと言う。それから小さなお客さんたち、小学生、幼稚園児である。20年後のわが社のお客さんだと専務と話し合っているのですよ、と言って社長は笑った。
虫も殺したことがない子供が育つから…… 
 この頃の子供は昆虫を捕まえない。クワガタをあげると言ったら「いくらか」と返事がかえってきた。ただであげると言うと、「え?」と驚いている。昆虫は買うものと思っているようだ。
 小学生や中学生が夏休みに昆虫の標本を作って学校に持って行くと、先生がこんな可哀想なことをしてと、標本を作った生徒を叱る。子供だけではなく先生も、親もテレビの映像とパソコンのみの世界に毒されて間違ってしまったのである。
 水や土にまみれて遊ぶのが本当の子供の姿ではないか。それに昆虫の繁殖についての知識でも誤っている。昆虫採集の捕虫網で種の絶滅などは考えられない。1羽の鳥が10万匹以上の昆虫を餌食にしていると水沢社長は説明した。U字溝を埋め込んだ農業用水路、大型農業用機械を使いやすくするためのコンクリートで固めた田畑、はたまたゴルフ場の建設がどれほど虫たちをいじめたかと、水沢社長の自然環境破壊者に対する抗議は手厳しい。
ショウドヒメオサムシ亜種学名はセイザブロイ
 瀬戸内海の小豆島で採集されたショウドヒメオサムシの亜種名セイザブロイは水沢清行社長がお父上の存命中に献名したとのこと。ガラスケースの中にセイザブロイなるヒメオサムシをみとめて前社長水沢誠三郎氏を偲び、わが愛誦する短歌「横たわる吾は玉中の虫にして琥珀(こはく)の色の長がき朝焼け」を思い出した。土屋文明の北京雑詠の中にある一首であるが、何かなしこの短歌がヒメオサムシの学名を献名されたときの誠三郎社長のお気持ちに相通じるような気がしたのである。
 今年はサガミ創立50周年、これを記念して4月から「喋の広場」は中南米に棲む美の化身と言われるモルフォチョウで埋めつくすという。4月が待ち遠しい。

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