(2002/03/25 プロパン・ブタンニュース)
ヤマサ總業社長 鈴木一輔氏
「風呂屋ではない、ガス屋です」

宮の湯のコージェネ
 名古屋市熱田区に本社があるヤマサ總業は「人の暮らしのエネルギーになりたい。それが、ヤマサの永遠のテーマだ」として、年商458億7千412万円(平成12年度実績)の会社である。これとは別に10の関連会社がある。その10番目の関連会社がヤマサユーランドである。
 ヤマサグループの総帥の鈴木一輔社長は「ガス屋をやめて風呂屋をやるのか」といわれたと笑う。そうではない。立派なガス屋なのである。本社ビルに隣接する元練炭工場だった敷地2500坪の一隅に「宮の湯」を開業して2年が経つ。言うまでもなく温浴の設備はLPガスによるコージェネレーションである。コージェネの経済効果は計画段階の試算だと、電力需要量は、自家発電=2497.5kw/日、買電=502.5kw/日、コージェネ使用によるLPガス消費量は、130.56kg/日。一kw当たりの年間平均買電単価16.26円。16.26円×2497.5kw=40,609円。これならメンテナンス費用を算入しても、コージェネの効果は大きく、投下資本の回収は短期間で可能と見た。そこで5億円を投資し、正社員5人、パート40人で2年が経とうとしている。
 平成13年1〜12月の運転結果から次のような実証データを得た。本機で発電した電力量を買電すれば約86万円が必要であり、コージェネ発電だと約63万円で済む。その差は月額23万円である。加えて90kwの基本料金が67%低減され、低減額は月約10万円となる。よって本機設置によるメリットは月33万円、年約400万円である。本機設置の投資合計は5千600万円。これを15年定額償却にすれば金利込みで336万円となるから(400円マイナス336万円で)64万円の経済効果になった。
 朝10時にこのシステムを起動して16時間運転する。岐阜県下3個所の温泉の泉質を引いている。入浴客は当初予定した毎日1100人より3割方多く、この2、3月の来客数は3千人を超す。年間50万人に及ぶという。コージェネレーションが湯をたくさん使うところに適するの鉄則通りの好例である。
 2.9トンの新型バルク貯槽が2基あって、ちょうど2.9トンのバルクローリー車が来て充填していた。浴場に入れば、広い脱衣場の壁面には広重筆の浮世絵、東海道五十三次中の熱田神宮・宮の宿、庄野、蒲原宿などの絵が大きく描かれて掲げてある。これら浮世絵の原画は熱田神宮の所蔵だそうだ。ここは熱田区、「宮の湯」の命名の由来もうなずけた。宮の湯の庭にはヤマサが練炭を製造していた時分に原料である石炭を砕いたフレッド・ミルが庭石として置かれている。練炭製造用のフレッド・ミルとコージェネの対比が面白く、エネルギーの変遷を、そしてヤマサ總業の社史に思いを馳せた。
直売の新生「共和ガス」、卸部門は経済連と提携
 愛知県西部地区と岐阜県南部の小売部門を効率化するためにヤマサ總業の直売(一宮・祖父江・瀬戸)の需要家8千軒、と共同配送をしてきた共和ガス(江南・多治見)の需要家七千軒および関連会社ガスライフの一部(清洲)需要家を統合してこの4月から県西北部の15000以上の需要家を持つ直売会社が4月に発足する。社名は「共和ガス」とした。卸部門では、愛知県西部支店の供給先には経済連が西春に新設した尾張LPGセンター配属のローリー車が配送。愛知県東部は、ヤマサのローリー車が経済連の供給先に配送して相互利用する。これによって投下資本を削減する。
 直売と卸の両面でのこの二つの事業展開は、単なる思い付きや偶発的な出来事でない。事業展開を面で捉えるヤマサ總業の伝統的手法である。ヤマサ總業社史「炎と共に30年」(昭和52年刊)に次の一節がある。
   鈴木一輔社長に、ヤマサの今日の発展がある最大の秘訣は何か、と聞いたことがある。その時、社長は言下に「人材の問題は別として、30年当時の開拓期に形成されていた販売基盤、とりわけLPG分野への進出を可能にした多くの販売店の協力があったからでしょう」と語っている(同書72ページ)。
リヤカーで練炭引き売り
 ヤマサ總業社史の巻頭に古い社員には忘れることができない練炭引き売りを再現したグラビヤ写真が掲載されている。そして同書の五十八ページに昭和22、3年に行われた引き売りの記載がある。
 要約すると、−リヤカーを使って練炭を市内で直接消費者に販売する、いわゆる引き売りをやった。毎日が新規開拓であり、その都度品物と代金は引き換え、積んでいったものは売り尽くすよう命じられた。15台のリヤカーが隊列を組んで行進することもあり、街の話題となった。(中略)1袋14個入りの家庭用練炭が小売店へ120円、消費者渡し150円といったところだった。これに対し130円で直接消費者へ、しかも他のメーカーよりも高カロリーの質のよいものを造り一般家庭に直販した。
 引き売り商法は創業期の限られた一時期のことだったが、古い社員にとっては忘れがたい思い出が秘められている。この練炭引き売りの精神は伝統として今日の営業に引き継がれて、地域を面で捉える事業展開に脈々と息づいている。

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