(2002/04/08 プロパン・ブタンニュース)
セントラル石油瓦斯社長 川ア和兵氏
「名門企業は第二創業期へ」
セントラル石油瓦斯の川ア和兵社長は平成9年6月に社長として同社に来てから2期4年が経過した。着任するや社員の間に実態が無いのに名門意識が強過ぎることに気づいた。先ずそれを取り払うことから始めた。
毎日がスタート、創業大売出しの積もりで特売を打ち続けた。名づけて第二創業期の始まりであった。リテール・セールは、まだ本格的には取り掛からなかった。それには考え方や組織的整備が必要だった。いま漸くそのハードの部分、組織的構造改革を終えたところである。今度はソフトの面、人の問題である。これが当面の問題だと言う。
また、川アさんは社長に就任して直ちにやったことに悪評さくさくだった切り替えブローカーとの絶縁があった。これらの経営的判断とその実行力は強靭な意思の持ち主であることを印象づけた。川アさんのおだやかな風貌からはこのように厳しい経営判断と、その実行を想像しにくい。
だが、川アさんは千軍万馬の兵(つわもの)である。何度となく修羅場をくぐった剛の者である。昭和36年に岩谷産業に入社、ボンベ担ぎから始まって駐在員事務所、出張所、営業所、本部に勤務して、若くして岩谷産業の取締役になった。海外では香港支店長、香港岩谷社長、東南アジア・中国本部長を歴任、中国では岩谷産業のLPG事業を立ち上げたキャリアを持つ。そして商売はソロバンだけではなくハートが大切と言う。香港支店長時代に親しくしていた中国人にガス代を踏み倒されそうになった。そのとき広州まで追いかけて行って払わせたことがある。これなど正にハートが相通じたのだと言う。
川アさんは昭和14年生まれの滋賀県長浜の人、近江商人の伝統を受け継いでいるのだろう。
お客さんの移動は守りきれる
顧客の移動は法律に違反していない限り、それを認めざるをえない。顧客が業者を選ぶ時代になったということは、自らも選ばれる可能性があり、自分にも新たに顧客を取り込むチャンスが生じたことを意味する。
別の言い方をすれば、消費者から見た選択の幅が増えて「LPGの商圏」という既成観念が崩れ去ろうとしているのである。販売店と消費者との枠組みといおうかパートナーシップを顧客から見ていかに魅力的に再構築するかが急務である。
これこそがLPG販売業の今日的経営問題である。LPG単体ではなく、きめの細かい濃密な顧客対策があれば顧客移動は守りきれる。ガス代を安値にして対抗するのは愚策であり、そんなことをしていてはきりがない。お客さんに「あなたの店が好きだからあばたもエクボ、高いも安いも関係ない、あなたが持ってくるものだったら何でもいい」という顧客作りが大切である。
大販売店でなければ生き残れないか
小規模販売店では生き残れないか。そんなことはない。それを助けるのがわが社の方針だ。タクシー業界では再編と大型化が進んだが、車一台の個人タクシーが高い評価を得て健在である。平成五年以降四万六千七百台で横ばいである。マナーと安全運転を顧客は認めている。LPG販売業は小規模零細が多いが、都市ガス会社のサービスショップが町中に張り巡らされているのを見れば地域密着の観点から小規模のLPG販売店が多数存在するのを否定するのは必ずしも妥当ではない。
地方ごとに卸、小売、配送センター機能を垂直統合
北海道、富山、秋田、静岡、関東等で支店を廃して卸、小売、配送センター等を一体型経営にした垂直統合をした。札幌支店を廃して北海道セントラルに、関東では栃木、埼玉、神奈川、筑波の販売会社を統合してセントラルガスにした。これによって人、物、金の経営資源を集中的に投入でき、現場に近いところで販売店のお手伝いができるようにした。
さらに中央セントラル会があって、大垣の大垣液化ガス会長の小川静雄さん、新潟のカネコ商会社長の金子俊平さん、千葉の長島セントラルガス社長の長島彪さん、北海道の住商第一石油ガス社長の田中康弘さん等の錚々たる方々が名を連ねている。川ア社長は社員の中にある名門意識の排除から始めたが、これらの顔ぶれを見ればいずれも一流どころである。老舗セントラル石油瓦斯の第二創業期の成果は期して待つべきである。
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