(2002/04/22 プロパン・ブタンニュース)
東京プロパンガスン社長 小澤洋行氏
「プロパンの老舗は健在」

  東京プロパンガスの小澤洋行社長を小平市にある同本社に訪ねた。洋行社長は同社の2代目社長である。東京プロパンは昭和30年9月に小澤敏克氏によって創立された。東京のLPG販売会社の中で草分けの一人である。
 東京・新宿に本社を定めて営業を開始したが、ほどなく東京都北多摩の小平市や南多摩の八王子市に、さらには埼玉県所沢市、狭山市へと次第に商圏を広げた。また、寡黙で実行力があり、お人柄がかわれて都プロパンガス協会の4代目会長となり、同時に日連の5代目会長をも務めた。日連会長のとき福岡市で開かれた九州LPガス業界の会合に出席して旅先で心不全に倒れ帰らぬ人となった。平成3年12月8日のことであった。このとき洋行社長がバトンを引き継いだのである。
 洋行社長は創業者社長・敏克氏の息女・秀子さんのご主人である。敏克氏は62歳という若さで逝かれ残念でならないが、まことに素晴らしい後継者を得られたのだからもって瞑すべしと思う。洋行社長と奥さんの秀子さんは明治学院大学の同窓で共に考古学を学び、それが取り持つご縁とか。昭和51年に大学卒業後は敏克社長のもとで働いた。
 洋行社長は社長就任以降今日までの10年間を振り返って先代が敷いてくれたレールがあったから、それから外れぬように走って来た。そして規模を拡大して密度を濃くすることに努めた。それが経営の合理化であり、コストダウンにつながったと言う。
 先代の小澤敏克さんが敷いた東京プロパンのレールとはどんなものか。昭和56年に都プロパンガス協会が刊行した『プロパン東京―都協25年のあゆみ―』という本に次のような一節がある。
面でとらえる卓抜な組織論
 「小澤さんは25年前から一貫して、3.14の円周率を念頭においてやって来たという。一つの営業所をつくるたびに円を描く。いや、基地を中心に、その円周上に営業所を置いているのかもしれない。話を聞いているうちに妙なことを連想した。小澤さんの東京プロパンという会社はゴルフクラブのようだ。それも一番距離がでるドライバー。新宿の本社はグリップ、基地のある小平はヘッド、地図の上にみえる中央線や西武新宿線はシャフトである。小澤さんは立派な体躯の持ち主だし、ヘッドの効いたドライバーを振り回せば相当な飛距離が出そうだ。いやいや小技の方も相当な腕前に違いない」(同書二十五ページ)。
 この本は当時、都協の会長だった内田太郎さんに頼まれて筆者が作ったのだが、ここに引用したところは2代目社長の洋行さんがいう「先代が敷いてくれたレール」を適切なたとえで解説していると思う。プロパン事業を面でとらえる卓抜な組織論である。
長尺のドライバーで次々に営業所
 ロングシャフトのドライバーで北多摩、西多摩、南多摩、埼玉県、そして神奈川県へ営業所ができた。その進出の状況を時系列で見ると、昭和37年4月小平充填工場建設、併せて同地に北多摩営業所を開設、42年11月埼玉県富士見市に南埼玉営業所を開設、45年7月八王子市に南多摩営業所を開設、47年9月埼玉県狭山営業所を開設、50年5月東京都羽村市に西多摩営業所を開設、58年9月埼玉県東松山営業所を開設、62年10月小平充填工場リニューアル15トンタンク2基を地下埋設、平成元年2月神奈川県愛川町に厚木営業所を開設、7年5月本社を小平市に移す、7年11月埼玉県春日部営業所を開設、9年12月川越配送センターを拠点に配送の効率化と顧客管理の合理化を図る、10年11月埼玉県東松山と春日部の両営業所を統合し川越配送センター管轄とする。
 この略年譜からだけでも洋行社長が先代が敷いたレールを着実に走って、さらに合理化を追求していることが分かる。かくて顧客2万5千軒、その中には新宿生まれだけに今日なお神宮外苑や都心のアパートなどのユーザーもあり、年間ガス販売量7500トン、年商20億円(ガス16億円、器具4億円)である。 
成田山新勝寺詣で
 洋行社長は東京都エルピーガス協会の青年委員長でもある。
 10年ほど前まではわが社の先代と同じ年輩のオーナー社長が大勢いらっしゃった。だが、最近は2世の時代になった。都協の青年委員会では私が委員長で、副委員長は大和ガスの内田宏人社長です。内田さんのお父さんの内田太郎さんは都協会長を長くなさった。そのとき私の先代社長は副協会長でした。内田さんのお父さんは「孫の代まで構想が描けるLPG業界にしよう」と言って小澤の息子とお前は毎年、成田山詣でを欠かすなと遺言なさった。私たちは毎年9月にそれを欠かさず実行していると言う。
 この話を聞いて、内田太郎さんが「三代目唐様に書く貸家札」という川柳を知っているかと言ったのを思い出した。

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