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(2002/08/19 プロパン・ブタンニュース)


浅野産業社長
浅野益弘氏
六代目の楽屋ばなし

 浅野産業の浅野益弘社長を岡山市の同本社にお訪ねした。浅野社長は岡山県LPガス協会長でもある。地方からの発信だとして浅野さんのお話は電気の攻勢に対するLPGのPR不足に熱がこもった。
 阪神・淡路震災の際、わが社の岡山充填所から50キロ、20キロの充瓶、ホース、こんろ等をトラックに積んで救援に駆けつけて、LPGの威力を如実に見た。その2年後に起きた鳥取西部地震でも阪神・淡路震災を体験した人が再び鳥取地震に遭遇して、LPGを使っていてよかった。阪神・淡路のときは都市ガスで、中々復旧しないで困った。そして大きな火災につながったと思う。
 これを人災と言う人もいる。最近、都市ガスが天然ガスに原料転換して環境にやさしく高カロリーと宣伝するが、カロリーはLPGの半分、LPGだってクリーンなことを忘れている。また、電力会社がIHこんろや電温を力まかせに宣伝すれば、IHこんろの電磁波は健康上“慎重なる回避”が大切なのに、電温は“たまり湯”だから非衛生的なのに一般のお客さんは電力会社の言い分を信じてしまう。LPGは分散、独立した素晴らしいエネルギーであることをPRせねばならない。
 浅野産業は明治元年創業の130年の歴史をもつエネルギー事業の老舗である。その六代目社長のLPG事業の新たなる挑戦を話してもらった。
見て、触って、体感できるショールーム
 岡山市大和田の浅野産業の流通センター事業所がある所にLPGのショールームを建設する計画がほとんど終えて年内に完成を急いでいる。このショールームは建坪900平方メートルにドーム型天井の二棟からなる。ロケーションは高速道の早島インターに近く、県内一円および広島県東部から浅野産業の販売店は誰でも1時間以内で来られる距離にある。ここに来れば、ガスと電気との比較を体感できるショールームを目指す。
 販売店がお客さんを案内して食器洗い器、浴室乾燥機、床暖、GHPと順番に見て回ればトータルでオールガス化の納得がいくようにする。乾燥機もLPGと電気とでは仕上がりが違う。天ぷらにたとえるならLPGはぱりっとあがる。電気はべしゃっとしている。これを体感できるショールームだ。また、料理教室や住居のリフォームの相談など楽しいイベントも行う。
 これらのイベントは浅野産業だけが行うのではなくハウスメーカーやガス器具メーカーなど諸々の専門業者が会員制で運営してLPGによる快適生活を演出する。これが真の電化対策である。LPGによる快適生活のPRは言葉やパンフでは中々分からせにくいものである。インターネットによるネット販売もショールームの仕事として視野に入れて計画している。ガソリンスタンドひとつで1億円かかる時代だが、このLPGショールームも同じくらいかかる。だが、その商圏エリアは遥かに広い。
「ピースナッツ ぷ・ろ・ぱ」のコンセプト
 浅野産業・LPGショールームの名前は、「ピースナッツ ぷ・ろ・ぱ」である。ピースナッツのコンセプトは次のようなものだと浅野社長は言った。
 地球にやさしいエネルギー、LPGのショールーム、省エネルギー、エコに配慮した施設。ピースナッツは親しみのある、地域のコミュニケーション・スペース。ピースナッツは楽しい体験、新しい発見のできる施設である。ピースナッツは、さまざまな企業のネットワークを形成する。ピースナッツは、あらゆる分野の情報発信基地である。後につく「ぷ・ろ・ぱ」はプロパンガスの響きから。
六代目社長、浅野益弘さんの挑戦
 冒頭に書いたように浅野産業は、明治元年初代浅野順太郎が醸造業久代屋と池田家御用商人塩屋を併合し、燃料部門を設けて浅野順太郎商店としたことに始まる。以後浅野栄三郎・鶴二郎商店と当主名による称号を使用した。4代社長浅野嘉夫(6代目現社長の父)は、昭和14年に合資会社に改組し、昭和16年に戦時統制経済により岡山燃料統制組合に企業合同され、浅野嘉夫は理事長に就任した。
 5代目社長の浅野靖隆(現社長の兄)は、昭和34年に株式会社浅野靖隆商店に改組、LPG部門を新設した。この間、薪炭の卸し販売、たどん、煉炭の製造、販売をした。
 かたくななまでにエネルギー事業にうちこんだ浅野家の130年である。6代目社長、浅野益弘さんはエネルギー複合時代といわれる今日、LPGの電力に対する新たな挑戦を開始した。期して待つものがある。


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