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(2003/7/28 プロパン・ブタンニュース)

新日本石油ガス社長
吉田 清氏
やる気に勝る能力なし

  新日本石油ガスの吉田清社長は@会社経営上の目標、A日本LPガス協会の副会長で供給委員長として、特にサウジアラビアのCP制、BLPガス振興センターの理事長としてLPガス産業の活性化について語った。
コスト競争力なしに将来なし
 「福井ガスセンター」は、この四月に福井県で栄月、三谷商事、iGL(出光ガスアンドライフ)、新日本石油ガスが系列を越えて共同化して充填コストを低減するために設立した。将来は配送や保安業務も共同化する。また最近、金沢でも松村物産、三谷ガス、大城エネルギー、新日本石油ガスが「金沢サプライセンター」を設立して物流合理化をした。こうした動きは一地方の特異なことではなく、全国の業界に生じている現象である。「コスト競争力のないところに将来はない」と吉田社長は強調した。
 さらに吉田社長は「やる気に勝る能力なし」と言う。LPガスを売ってハイ、オワリではなく情報やノウハウの付加価値販売をしてはじめて客の評価が得られる。実行するのは社員一人ひとりなのだから皆が社長になった積もりで仕事をしなければならない。そのために人材育成が大切である。
燃料電池、エンジン・コージェネ、GHP
 燃料電池は新日石と共にグループとして開発に取り組んでいる。二月に横浜市のみなとみらい住宅展示場にLPG燃料電池(出力一`h固体高分子形)の第一号実用機を稼働させた。中田横浜市長は、明治五年に横浜にガス灯が点灯したほどの大きな出来事と語った。新日石と新日本石油ガスは四月以降関東圏でこの機種の燃料電池のモニターテスト百件以上を展開している。二〇〇五年には本格販売を目論んでいる。
 GHPをベースに開発されたエンジン・コージェネは、十`h未満の業務用から家庭用の一`hまでそろってきた。GHP、エンジン・コージェネ、燃料電池まで取り扱う経営の多角化はこれからのLPガス事業者が必ず果たさねばならぬことである。
サウジのCP制批判と振興センターの役割
 二月二十、二十一日に「LPガス国際セミナー二〇〇三」(通算八回目)が東京で開かれた。サウジアラムコ(サウジアラビア国営石油会社)を招待してのセミナーである。日本側はサウジのCP制〈LPガスFOB価格決定方式〉に代わって、売り手と買い手双方の「公平、説明可能、競争力、透明性」を満足させる新たなLPガスFOB価格決定方式を提案した。サウジは一応の評価はしたが、これまでのCP制を擁護した。
 日本LPガス協会副会長で供給委員長の吉田さんは、CPの低廉安定化にはなお時間がかかりそうだが、ねばり強く交渉を続けると言う。
 オール電化攻勢は日に日に強まっている。一度LPガスから電気に換われば二度と帰ってこない。そうならぬ中に競争力があるLPガス料金にしなければならない。そのためにはLPガスの供給ソースもサウジアラビアに集中せず、分散しなければならない。サウジ玉は全輸入量の四〇%と多かったが、一〇%ほどさがっている。DMEは主に東南アジアだからこれも牽制材料になる。
 LPガス振興センターは経済産業省やNEDOの@受託事業としてLPガス事業の効率化に関する調査、LPガス供給地の多様化の調査、DMEの実証実験等、A補助事業として国際セミナーの開催、コージェネ導入の支援事業、充填所統廃合の支援事業、高効率給湯器の導入支援事業、B共同研究事業に固体高分子形燃料電池の開発、さらにC自主事業に研究成果発表会の開催、世界LPガスフォーラムの理事として国際会議に出席などがある。吉田理事長は、自主事業を活発化して補助事業の削減に努め、需要開発努力をするとしている。
 しかしながら補助事業が多過ぎるとは行政改革委員会あたりの言い分だと思うが、本末転倒だと思う。国のエネルギー政策を推進する上でそれが必要な調査ならばもっと多く補助金を支出すべきではないか。筆者の僻目(ひがめ)だろうか。
日石応援団長、若き日の吉田社長
 吉田社長のお人柄を知る上で、日石時代に応援団長として名を馳せたことに触れておこう。
 日石は都市対抗野球大会で八回優勝、最多優勝チームである。昭和四十三年の大会の準決勝戦で起きた「幻のホームラン事件」は、アマチュア球史にのこる抗議事件だった。
 当時、吉田さんは、入社七年目の日本石油応援団長だった。三連覇を狙った日石と河合楽器との準決勝戦は七回まで三対一で河合楽器のリードで八回に入り、事件はそのとき起きた。日石の攻撃は一死後、四番の秋元国武選手が左中間スタンドにホームランを放ち一挙に逆転ムードが漂った。ところが、秋元選手が二塁ベースを踏まなかったとしてアウトが宣告されたのである。
 一時間にわたって抗議したが、判定は覆らなかった。日石は審判団の説得に応じ試合に復帰、そして三対二で敗れたのであるが、一万人余の日石応援団を率いた吉田団長は試合終了まで整然と応援歌を指揮し続けた。人々は日石応援団のフェアプレーを賞賛した。
 吉田社長は応援団長としての指導力をLPガス業界の舵取りにも発揮するに違いない。


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