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(2004/2/23プロパン・ブタンニュース)

名古屋プロパン瓦斯初代社長
後藤新治氏(故人)
後藤新治氏を思う「満月満屋梁」

  二月十三日、名古屋プロパン瓦斯の創立五十周年記念パーティーが名古屋マリオットアソシアホテルで行われた。大勢の懐かしい方々が出席して交々に名古屋プロパンの五十年の隆昌をお慶びした。
 日連を代表してサイサンの川本宜彦会長がお祝いのスピーチをなさり、名古屋プロパンが創業した五十年前はわがLPガス事業の夜明けだったと述べた。
 このスピーチを聞きながら名古屋プロパンの創業者である先代社長の後藤新治さんの面影がステージにいっぱいに大きくあらわれて、あのやさしい風貌で会場の聴衆を見まもっているようなイメージを抱いた。
 川本さんのスピーチを聞きながら後藤新治さんの面影に向き合って、ゴッチャン(私たちはいつもあなたをそのように愛称で呼んでいた)、あなたは随分急いで旅立ってしまったね。あなたは僕より二歳年下だったのにいつも兄貴のように振る舞った。ゴッチャン、あなたと僕は業界同期生だったね。僕は長らえて今、新聞のこの欄に業界の社長さんを毎週ひとりずつ登場ねがって「肖像画」と題して執筆している。前号で百人に達したところである。今週は特別篇で、ステージに表れた後藤新治さんとの対話を書くことに致しましょう。
 盛唐の詩人・杜甫に「李白を夢みる」という詩がある。詩に「落月らくげつ満二屋梁おくりょうに一猶疑照二顔色がんしょくを一」とある。「折しも落ちかかる月の光が屋根の梁はりいっぱいにさして、君の顔がそこに照らし出されている」というのである。
ゴッチャンもその先生たちも若かった
 昭和二十九年、名古屋プロパン創業のころ、後藤新治さんはプロパンの充填の実際を見たいと上京した。神奈川県追浜の相模プロパン(現在のサガミ)の水沢誠三郎社長(故人)や小田原の丸江プロパンの初代社長・江島平八氏(故人)を訪ねて見学した。
 それは五十`容器を松の木にさかさまにぶら下げて充填する原始的なものだった。五十`容器は日のよく当たるところであたためて、十`容器は日陰において温度差で充填するという原始的なものだった。名古屋に帰って真似てやってみたが、なかなか入らなかった、と言っていた。
 この時の後藤新治さんは三十歳、先生の水沢誠三郎社長は四十四歳、そして江島平八社長が五十七歳で、かく言う筆者は三十二歳だった。江島社長や水沢社長はもっとご年輩と思っていたが、皆、若かったのである。炭主油従から油主炭従に、そしてLPガスへのエネルギー革命の担い手は皆、若かった。
鎮子夫人の話
 後藤新治さん、あなたがたご夫妻は夫唱婦随だった。五十周年の式典が始まる前に鎮子夫人にロビーでお話を聞いた。大阪にプロパンを見に行ってその青い炎にすっかり魅せられて、それから五十年信仰に似た思いで普及に努めて参りました。プロパンを始めたころは鋳物のこんろでしたが、近所の美容室で都市ガスには瞬間湯沸器があるのにプロパンにはないのと言われ、主人が何十回も東京を日帰りしては研究して、リンナイさんに持ち込み何度も手直しをしました。お客さまのニーズにしたがって二人三脚で新しい物を作り上げました。昭和三十年ごろ丸栄百貨店に十`容器を持ち込み実演したとき、火事だという声がどこからかあがったのでボンベに火が回ってはいけないと飛びこみ、百貨店の裏側の工事の足場を伝ってボンベを避難させたことがあります。戦争中に石油類を取り扱っており、身を挺して火災予防をする気持ちが養われていました。ローリーができる前の事ですが、トラックにボンベを積んで狭い関ヶ原を通って和歌山の東燃までプロパンをもらいに行っていました。正月は品薄になるので主人がいやがる運転手をなだめて、東燃まで行ってガスが詰まると安心して汽車で帰って来たものです。また、下呂などの危険なルートへは必ず付いて行きました。ガスストーブが売れて、販売店さんにお断りするのに声がかれたこともありました。メーターを付けることになったとき、メーター設置で手一杯で、お金もかかるしで多栓化できず、そうこうするうちに大部分が石油ストーブに戻ってしまいました。もう少し知恵があればと今から思うと残念でなりません。いろいろありましたが、大変な時代をやり抜いて来たことを後の世代に知ってもらいたいと思います、と話された。
日本一若い協会長
 名古屋プロパンの三代目の社長・後藤庄樹さんは、昭和三十五年四月二日生まれの四十三歳である。今年、愛知県LPガス協会の会長に就任され日本一若い協会長と紹介された。頼もしい限りである。左記に述べた通りお父さんの後藤新治さんは三十歳にして名古屋プロパンを創業し、協会活動では沢田寿衛会長を副会長として助け、昭和四十六年、四十七歳のとき沢田会長から協会長のバトンを受け継いだのである。
 現在、電化攻勢はIHこんろ、エコキュートと厳しいものがある。これをLPガスで迎え打つには絶対に若さが必要である。若すぎるということは決してない。ご活躍を期待してやまない。



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