ウェーブ・風 話題と肖像画 ナリケンが行く
(2004/3/8プロパン・ブタンニュース)
美濃加茂ガス社長 | |
則竹浩明氏 | |
攻めの営業の美濃加茂ガスス社長 |
美濃加茂ガス会長の則竹光明さんとは業界の会合などでお会いしていたが、浩明社長とは初対面である。筆者は業界の「戸籍係」をもって自ら任じていたが、若い経営者とは面識が少なくなった。こんなことではいけないと反省しながら浩明社長を訪問した。同行してくれた名古屋支局長の前野一之君が行きがけの名鉄電車の中で同社の生い立ちを話してくれた。
要約すると、則竹商店は明治二十年ごろに創業され、灯油・塩・米・繭などを販売した。美濃加茂ガスは昭和四十六年に現会長の光明氏が故野田卯市氏にLPG事業をすすめられ、単独でスタートした。後に東邦ガスと共同事業に進んだ。それで毎月一回行われる美濃加茂ガスの役員会には東邦LPG&コークの多湖作之社長も岐阜液化ガスの濱本巖社長も美濃加茂ガスの役員として出席する。則竹家と野田卯市氏との関係は、光明氏の妹が野田卯市氏の兄の子息(島商事経営者・故人)に嫁した。
則竹グループには美濃加茂ガス以外に則竹石油(社長・邦光氏=光明氏の弟)、則竹地所(社長・邦光氏)、則竹運輸(社長・晃司氏=浩明氏の弟)がある。さらに光明氏は、学校法人・則竹学園「たから幼稚園」の理事長であり、新太田タクシーや容器検査所の取締役もしている。
けれん味のない浩明社長
浩明社長は、大学をでて昭和シェル石油に二年在籍した後の昭和五十九年に美濃加茂ガスに入社した。そして昨年六月に父・光明氏のあとを継いで社長に就任した。四十五歳の男盛りの青年社長である。少しも気負ったところがなく静かな対応に好感が持てた。前野支局長の話ではお酒はかなり強く、ゴルフの腕前はシングル級とか。県協会では高井宏康会長の新体制の会計理事を務めて信望が厚い。こちらの質問にはてきぱきと答えてくれ、いささかのけれん味もない。
町の変貌に対応
飛騨川と木曽川が出合うまち美濃加茂市の人口は五万人強、うちブラジル人など外国人が五千人と多い。五千人は登録済み人口で実際はもっと多い。これは富士通、ソニー、ヤマザキマザック、三菱マテリアル、日立などの美濃加茂工場に働くブラジル人など外国人就労者が多いためである。
このような環境で一万二千三百軒の需要家を確保するには外国人居住者にも積極的に売り込まねばならない。則竹地所は、ブラジル人専用アパート七棟を持ち、彼らに3DKや2DKの部屋を百室以上も貸している。またブラジル人のための日本語学校も則竹地所のビルのテナントである。浩明社長はさらに続けて、一昨年暮れに「日本昭和村」が誕生した。村長は中村玉緒さんで、里山の豊かな自然と昭和前半の暮らしをよみがえらしたテーマパークである。休日には大勢の人々がやって来るが、通過するだけの町と言う。美濃加茂ガスはオートスタンド、則竹石油は六つの給油所、新太田タクシーは車両八十台で対応している。
光明会長のプロパンことはじめ
則竹光明会長が社長対談に加わった。浩明社長は、父・会長も後で来ると言っていたが、その登場ぶりはタイミングがよかった。美濃加茂ガス創業のころ野田卯市氏の口ききで四日市の大協石油からLPGを仕入れようとしたが、既に岩谷産業が特約店に決まっていて、昭石ガスから仕入れることになった。昭石ガスの町沢滋郎さんやシェル石油のLPG部長の柿沢準之助さんと意見を闘わしたものだ。柿沢さんは平塚市長の倅で細君はシーボルトの曾孫(ひまご)だった。光明会長は技術系の人だから移充填用のポンプがピストン式からプランジャーに変わった経緯など岡本造機や三共工業など懐かしいメーカーの名前も出てきて草創期の苦心談が尽きなかった。LPGのオートスタンドも岐阜県の第一号だった。そしてGHPの設置は累積五千馬力に達し、メンテ、試運転も自社で行っている。
ふれあい感謝まつり
LPガスの営業は攻めの営業を強調する。十二月六、七日の二日間「ふれあい感謝まつり」を催して二日で三千人の来客だった。高山市の朝市を真似たものであるが、開店前から客が詰め掛け期間中の売り上げは千三百万円に達した。お客は自分が買っているガス屋がどんなレベルのガス屋か知らずにいると言う。そして則竹地所の不動産部の売り上げは、月々三千万円ほどであるが、これは先祖が遺してくれた土地があったお蔭だと言う。
対談の第五幕
光明会長の登場で対談は、芝居になぞらえるなら第五幕のフィナーレとなった。これを静かに聞き入る浩明社長もよかった。
ここ美濃加茂市は坪内逍遥の出身地、逍遥と言えばシェイクスピアである。ハムレット劇の第五幕を思い出した。あの墓堀りの場は、この芝居の見所である。若い売り出しの役者がハムレットを演じ、その先輩で今までにハムレットを何べんもやったような人が墓堀り役をやる。わが国の役者で言えば市川新之助がハムレット、九代目松本幸四郎がグレーヴ・ディガーである。この対談の第五幕もそのようになった。
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