ウェーブ・風  話題と肖像画 ナリケンが行く

(2004/9/13プロパン・ブタンニュース)

愛知時計電機社長
池田 一氏
センサー技術と新システムの結合

 愛知時計電機の池田一社長は、同社の9代目の社長である。会社創立は明治31年と古く今年は会社設立106年にあたる。106年の歴史を振り返って諸先輩とお客さまのお陰である。しかし、企業の歴史は古ければ古いほど良いというものではないと池田社長は述べて、「継承と革新」を強調した。継承は技術、お客さま、組織の継承である。継承を強調すればするほど革新を図らねばならない。「企業30年」と言うが、それは会社を常に活性化して体制を新たにしなければならないという戒めである。既存技術をベースに新たなコンセプトの事業を実現することが大切、このために今年、新事業企画推進室を新設した。それは創立100周年に掲げたスローガン「SS&S」=愛知時計電機の伝統技術であるセンサー技術と新しいシステムを結合してサービスを徹底する1つの実行である。
 社長のモットー「厚遇サービス精神の発揮」は、お客さまが困っていること、望んでいることにいち早く手を差し伸べて期待に応えることだ。会社の理念である「創造と奉仕を通じてお客さまの信頼をかち取る」は、ガス業界に生きて行く上で嘘をつかない、約束を守ることだ。これは原点だと強調した。
愛知時計電機の生い立ち
 明治31年、名古屋財界の有志が柱時計と置き時計の製造を目的に会社を設立。輸出も盛んに行い、事業は進展した。明治37年、陸海軍の精密兵器(電機通信機)の製造。大正9年、航空機の製造開始。昭和4年、航空機用発動機の製造に着手。戦争中、海軍の仕事で魚雷や99式艦上爆撃機を製造。(注)99式は、皇紀2599(昭和14年)で、因みに零戦は2600(昭和15年)である。昭和2年には昭和天皇の本社ご視察があり、本社船方工場に行幸記念碑がある。また、山本五十六提督も当工場に飛行機で飛来した。軍需工場として重きをなしたことが分かる。他方、昭和2年に水道メーターの製造を開始、細々と続けられた。戦後、昭和21年、水道メーター、時計の製造を再開した。平和産業への切り替えである。そして昭和25年、ガスメーターの製造を開始した。
地蔵尊建立縁起
 昭和20年6月9日、B29の大編隊による空襲で本社船方工場は全工場破壊焼失した。多くの死傷者がでた。昭和24年、本社船方工場の正門脇に供養のお地蔵さんが建立された。その縁起に曰く「過ぐる第二次世界大戦当時当愛知時計電機株式会社には従業員並びに動員学徒を併せ2万2,000名就業せり 時に昭和20年6月9日午前9時30分より同40分に至る約10分間の空襲により庄忽ちにして工場一帯は当社関係死者1,145名重軽傷者3,000名更に地方人死者1,000名の一大修羅場と化せり 嗚呼惨しいかな 茲に終戦後5年船方工場再建せらるるに当たり同志相謀り随喜の写経を埋蔵し地蔵尊一軆を建立し以右殉国諸霊魂の冥福を祈らる各霊位願くはこの功徳により佛果菩提を證得せられんことを。昭和24年6月9日 覚王山主 勅賜禅師龍仙記」とある。
ガスメーター製造
 センサー技術は当社のお家芸である。水道、ガスの流量計をITで結び、新しいコンセプトでシステムを展開している。
 電子式ガスメーターは、ガスの流量を超音波センサーで電子的に計測し、流量判断時間を短縮し、従来の膜式にあった計量室が不要になりメーターの小型、軽量化を実現した。
 この次世代ガスメーターは、3年ほど前に東京ガス、大阪ガス、東邦ガスの3社がメーカーの協力を得て開発しようとコンペを行った。当社ともう1グループのプレゼンが選ばれた。今後は、課題を1つひとつ確実に解決し、都市ガス市場さらにはLPガス市場での商品化に対して積極的に取り組んで行きたい。
 この他に都市ガス3社等と協同開発の主なものは、次の通り。 
 タービンメーター、負荷計測器レギュレーター=東京ガス。コンパクト・ルーツ・ガスメーター、圧力安定器、デジタル・マノメーター(日本ガス協会・昨年度技術賞)、集合検針盤=大阪ガス。工業用超音波メーター、負荷計測器、デジタル式自記圧力計(日本ガス協会・今年度技術大賞)=東邦ガス。GHP遠隔監視装置=都市ガス3社およびアイシン精機。
品質とコスト
 品質は保安上ゆるがせにできない。コストは他社に引けを取らないのは当然であるが、価格だけが先行しては長続きしない。これを“非価格政策”と称して開発力とサービスを加味した営業力の充実に勉めている。いずれにしても今後は、都市ガス・LPガスの区別なくオールガス事業に全力を挙げて貢献していくつもりであると対談は締めくくられた。

 プロパン・ブタンニュース2004/9/13 ナリケンがゆく ウェーブ・風  話題と肖像画


話題と肖像画・ナリケンがゆくを読む