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(2005/3/14プロパン・ブタンニュース)

小池化学社長
小池清次氏
技術の小池、エアゾールの花咲かす

   小池化学の創業は、昭和30年3月で、業界では古参組である。当時、小池酸素の社長小池正雄氏(昭和45年没)は、大阪の大陽酸素の社長・川口源兵衛氏〈当時専務〉から酸素業者としてプロパン事業を始めるべきだと勧められた。川口氏は大阪で丸善石油のLPガス充填基地を委託され活発に活動していた。小池酸素が関東でLPガスを始めるならば協力を惜しまないと言った。そこで既にプロパン販売を始めていた本多酸素、中野酸工、同栄商事、二葉熔材等と語らい小池プロパンが誕生したのである。そして小池酸素の新小岩工場内にローリーで受け入れができる貯蔵、充填基地を作った。メーカー以外で都内最初のものだった。上記の販売店は都内で販売量を誇る有数の販売店で、小池プロパンはそれらの店にLPガスの卸業務に専念した。こうして始まった会社であったが、昭和36年、石油化学製品の販売など事業の進展に伴い社名を小池石油化学株式会社と改称した。さらに昭和47年には新分野の業務に進展して社名を小池化学株式会社にした。小池化学の事業は、@LPガス事業A化学製品の販売Bエアゾール噴射剤(プロペラント)の販売Cエアゾール充填業――の4本柱であると小池清次社長は言う。
客がある限り商売のチャンスあり
 LPガスの卸先の小売店さんを見ていると、小売価額は上がらない、仕入れ値は上がる。大手ガス屋が市場拡大を図っていわゆる「ビン倒し」にあっても客の移動も無くやっている息子さん達がいる。この人たちは水道もやれば、ガスの配管もする。GHPで空調もするといった具合で言わば便利屋さんである。消費者のニーズを販売チャンネルにのせているのである。逆に卸がそうさせてしまったのではあるが、検針は電話で、ガス料金は自動振替、これでは客との接点が薄れてしまう。小池の営業は卸先に対しても直売のお客さんにも客がある限り商売のチャンスありをモットーに客との密な繋がりに汗をかいている。
小池化学のエアゾール事業
 家庭用や工業用のLPガス販売から入ったLPガス事業だったが、昭和37年に新小岩工場にエアゾール生産設備を開設して新規事業に移って行った。そして今や「エアゾール屋」の感が強い。エアゾールは、太平洋戦争のとき米軍が東南アジア上陸作戦で害虫に苦労した。これに殺虫剤噴霧用に開発した。現在わが国の年間総消費量は約6億本である。その半数が化粧品、医薬品、医薬部外品等の人体用品で残りの半数が工業用品、自動車用品、家庭用品である。これらエアゾール製品の90%はエアゾール充填業者が下請けし、残りの10%がブランドメーカーの自家充填である。
 ここで卓上カセットこんろ用のカートリッジ缶について記しておこう。日本中で1年間1、2億本が消費される大型商品だが、国内生産は約半数の6,000万本、残りは韓国や中国からの完成品輸入販売である。このような単純スペックで且つ量販品はエアゾールでも今後グローバルの波はさけられないであろう。小池化学はより付加価値の高い人体用品に特化し、日本製の良さをアピールしていきたい。
 エアゾール事業には噴射剤の販売とエアゾール充填の二つの側面がある。噴射剤にはプロパン、ブタンが多く使用されているが、その脱臭には特に配慮して無臭のプロパン、ブタンを仕入れている。小池化学はさらに埼玉県吹上と滋賀県八日市の東西2工場で脱臭塔にかけている。エアゾール用LPGの需要は年2万5,000万dであるが、小池化学のシェアは45%ほどを扱っている。
DMEの燃料用途にも重大な関心
 エアゾールの噴射剤としてはフロンは規制され、喘息薬以外は使用されずプロパン、ブタン、DMEが主流である。DME(ジメチルエーテル)は昭和40年に小池化学がエアゾール用噴射剤として用途開発し、特に塗料用、殺虫剤用として定着したが、新用途として燃料用途に研究が進められている。環境問題の一環でクリーン燃料として、またLPG輸入価額の乱高下を抑制する意味からもDMEが検討されている。一方、インフラ問題ではLPGに比してゴムを膨潤させることが難点だが、これを克服することが急務である。DMEの生産では小池化学の既存協力関係にある三菱ガス化学の生産に注目している。
最初に井戸を掘った古市恒さん 昭和34年にプロパン用温水循環式ベーパーライザーを開発して工業用、業務用に導入、43年に多消費先にベーパーライザーと合わせて50`容器用の1口サイホンバルブを開発、また、昭和35年には3dトレラーからセルフコンテナー(1・5d容器2本をトレラーの台車に載せたもの)を考案した。これによって工業用LPガスやエアゾール用噴射剤プロペラントガスの供給を合理化した。かくて「技術の小池」の評判を博した。
 小池清次社長からお話を聞きながら筆者は、最初に井戸を掘った古市恒さんの面影を思い描いた。当時、氏は常務取締役、陸士出の陸軍少佐だった。これからも「技術の小池」に期待したい。

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