ウェーブ・風  話題と肖像画 ナリケンが行く 


(2005/9/5プロパン・ブタンニュース)

ニイミ産業会長
新美治男氏
漲るサイエンスマインド



漲るサイエンスマインド

 ニイミ産業の新美治男会長をさる7月25日、愛知県春日井市の同社本部にお訪ねした。本稿「話題と肖像画(ナリケンがゆく)」に登場してもらうためである。この連載記事は平成13年暮れから今年6月まで3年半毎週欠かさず全国のLPガス業界の社長さんとのインタビューシリーズである。筆者は150人の社長さん方からお話しを聞き「話題と肖像画」を描いてきたのでこの辺で幕にしようと思っていた。本紙編集長はさらに50人の社長さんとのインタビューを続けよと言う。これから1年50週、毎週50回このシリーズを続けることになった。新美治男会長は、その再開第1号に登場ねがった。
ニイミ式陶磁器用ガス炉
 昭和30年代なかば以降ニイミ産業は陶磁器焼成用ガス炉を開発して輝かしい成功を収めた。この指揮をとったのはニイミ産業のLPガス部門を管掌した新美治男常務(当時)である。昭和36年ころ瀬戸市の丸山製陶所にデュポゥ社(仏国)が特許を持つデュポゥ式ガス炉が導入され品質のよい陶磁器製品を焼成できると評判になった。
 しかし、このガス炉は高価で採算性を考えて導入を躊躇するものが多かった。また、デュポゥ炉は秘密主義でその構造を公開しなかった。そこで新美会長は独自に陶磁器焼成用ガス炉の開発に着手した。試作炉で試験焼成を繰り返してとくに高温時の雰囲気調整はドラフト計算の矛盾を発見して適正な風速が得られるように煙道を改良した。かくて昭和39年3月に純国産技術で陶磁器用ガス炉の完成を見たのである。
 当時の四日市地区は、石油コンビナートに対する公害防止条例が発布されて陶磁器用の石炭窯もその対象になり、ニイミ式ガス炉は陶磁器業界から歓迎された。昭和54年に省エネ型陶磁器焼成用シャトル炉を開発・発売した。この炉は、使用ガス量の15〜20%を節約でき、既設炉の改造注文、新型省エネガス炉の注文が相次ぎ、ガス炉需要の盛況がLPガスの増販につながった。
LPガス供給機器、消費設備の開発
 陶磁器用ガス炉の開発は代表的一例で、LPガス消費設備、同供給機器の貴重な開発がある。会長はニイミ産業のLPガス事業を最初から手がけてきたが、LPガス事業への進出は後発だった。そこでLPガスを売るための設備から手がけたと言う。
 50キロサイホンボンベを開発してボンベを立てたままで液を取り出せるようにした。また、500キロ縦型ボンベの自社生産をした。従来の枕型は場所をふさぎ作業性も悪く、運搬も不便である。残量測定のロータリーゲージが液噴出型で危険でもある。
 新美会長は、縦型にし連結バルブを操作し易い高さに決め、液面計を直読式のフロートゲージにする500キロ縦型ボンベを設計した。この製作をボンベメーカーに注文したが、メーカーは応諾しなかった。それではと、製造方法の勉強、機械の購入、技術者の養成、製造や取り扱い資格の取得まで自前で行って自社工場で製造を開始した。LPガスと切り離したボンベのみの製造・販売をしない方針を堅持して昭和54年に製造開始以来今日(平成17年3月)まで累積製造本数は2,030本を超した。
 さらにベーパーライザーの製作、タンク、タンクローリーの開放検査資格を取得しての高圧ガスプラント検査会社の認定を得て格安に開放検査を実施している。また、タクシー会社や自動車学校などの自家用スタンド向けに差圧式ガスペンサー(ガス・ディスペンサー)等々、LPガス供給機器、設備の開発はニイミ産業のLPガス取引先を強く結び付ける絆(きずな)となっている。
燻し瓦用ガス窯、アルミ溶解炉等利用設備の開発
 陶磁器用ガスシャトル炉(昭和39年)、ガストンネル炉(昭和42年)、燻し瓦用ガス炉(昭和47年)と次々に開発を成功させ好評をもって迎えられた。昭和48年にはガス窯炉の製造部門を(株)ニイミキルンとして独立させた。ニイミキルンは、陶磁器用ガス炉、製瓦用ガス炉、ファインセラミック用高温炉、アルミダイカスト用溶解炉、LPガス用大型ボンベ、バルクローリー、バルクタンクの製作、合理化に資する機器の製作などに任じて新規需要開拓はもとより民生用分野の競争力向上に寄与している。
 創業明治21年の燃料専門商社ニイミ産業は、時代の変遷と共に取り扱い商品も石炭から石油、LPガスと変化し、最近ではファインセラミックスの製造、廃油再生など環境保全事業をも展開している。会社中に会長のサイエンスマインドが漲っている。
新美治男会長の趣味
 対談を終えて春日井市から名古屋駅まで会長自らの運転で送ってもらった。以下、車中談。筆者の質問、会長の趣味は。
 美術・絵画―もともと、印象派の絵画を中心に鑑賞は趣味であった。囲碁―日本棋院四段。最近は、いつでもどこでも気楽に打てるインターネットオンライン対局を愉しむ。避けていたパソコンもオンライン対局のために覚える。
 ゴルフ―名古屋ゴルフ倶楽部(和合)H’cp13までいき、70歳でスコアカードを提出し18に戻すも、クラブ競技でアンダーで回り現在17。オーストラリアでは、別途AGA(オーストラリアゴルフ協会)で19のハンデを取得。
 音楽―モーツァルトの作品をこよなく愛す。日本モーツァルト協会に20年ほど前に入会。ケッヘル147、ピアノ演奏を、50歳を過ぎてから始めた。「マイウエイ」などポピュラー音楽が練習曲。電子トランペットは昨年吹き込みで出さなくても音程の出せる物を入手、持ち運べる楽器として重宝している。謡曲―春日井ロータリークラブ謡曲部会で練習。
 マリンスポーツ―フィッシングボート。60歳で小型船舶免状(当時4級)取得に挑戦。もともと海辺の生まれで釣りが好きだったので沖合に出て釣りを愉しむようになる。シュノーケリング―グレートバリアリーフを訪れたときグラスボートで珊瑚礁を鑑賞。スキューバダイビングやシュノーケリングで身近に珊瑚礁を愉しむ人の姿を見て、あれがやりたい…と、62歳頃スイミングスクールで水泳のレッスンを受けシュノーケリングを覚える。


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