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(2005/9/19 プロパン・ブタンニュース)

富士プロパン瓦斯社長

早川守比古氏

不断たつ知立の宿のガスの市
   富士プロパン瓦斯の早川守比古社長を愛知県知立市の同本社に訪ねた。9月3日に知立市のセントピラホテルで創立50周年祝賀会が行われたばかりだったので、その模様を伝えるアルバムを見せてもらった。この写真の仁は誰かと訊ねた。知立市長の本多正幸さんである。50周年記念にわが社は自治体の公用車としてLPG仕様のクラウン・スーパーサルーンを知立市に贈呈した。LPG車は、自治体でごみ収集車などに採用されているが、市長の公用車としては愛知県で初めてだろう。LPG車の展示会もいいが、乗っていただくに如くはないと早川社長は説明した。
 富士プロパンは、知立、刈谷、豊田、大府、瀬戸、可児に営業所があってLPガスの需要家1万2,000軒をかかえる。その70%は西三河に集中している。
 早川社長は昨年11月、その10代目社長に就任した。早川社長以前の9人の社長は親会社から来た方々だった。初めて富士プロ生え抜きの社長が実現した。氏の富士プロ入りは昭和58年、平成3年取締役、同10年常務、11年副社長そして昨年社長に就任したのである。
 早川社長の取材準備に本紙のバックナンバーを調べていたら専務取締役早川ソ(さん)平(ぺい)氏の記事があった。それは昭和50年代の終わりに富士プロが行った給湯器キャンペーンの記事だが、この計画の実質的立案者で参謀の役を果たした早川ソ平常務(当時)の見識が窺がえる記事である。この方は社長の父上かと質したら、お父様ではなく伯父上だと分かった。ソ平氏にはお子さんがなく、守比古社長が跡を継いだのである。
 早川家は代々、刈谷市小山郷の名主の家柄で、教育者の家系である。祖父・守次郎氏は、刈谷市会議長だった。祖父は市会議員の選挙ごとに田畑を1枚ずつ売って立候補したものだ、と守比古社長は言う。守比古社長のお住まいは今も刈谷市小山町である。そしてお庭には家訓の「秋灯やわが人生には算盤なし」と刻まれた石碑が建っている。早川社長が日ごろ強調する「地域のお客さまに感動的サービスを」は、この家訓の実践に他ならない。
5カ年計画と売り上げの増進
 5カ年計画は、平成19年9月(58期末)に終了する計画で、バルクシステムを推進してバルク容器450基を300カ所に設置し、バルクローリー5台を稼働させ、自前の集中監視センターを運用して全販売量の50%をカバーしようというものである。この9月末(56期末)で3年目が終了するが、2・5トン、2・3トン、1・8トンローリーの3台を稼働してバルク容器を300カ所に配送して計画は順調に進行している。また、西三河地区にこの地域の卸業者の充填所が7カ所あるが、将来は持ち株会社にして2〜3つほどの新たな物流のかたまりを作り、収益を確保しながらお客さまに還元を策している。
 昨年10月、1、2級建築士3名を含む10人の社員でリフォーム会社を発足した。ガスをベースにしたリフォーム会社である。毎月1,000万円の売り上げを実施して、3年後には年商3億円を目論んでいる。ガスを強調すると言っても「快適さ」の提案である。裏でガスが働けばこそこんな快適さが得られると言った具合に。リフォーム会社の建築士にLPガスの販売2種や設備士の資格をとらせている。このような努力はオール電化攻勢にも強く、1万2,000軒のお客さんでオール電化にやられたのは10軒だけだった。かくて、会社の売り上げも着実に増進して昨16年9月末決算で売上高18億8,000万円だったが、今期は21億5,000万円である。
社員教育と自己申告・評価制度
 社員の意識を高めることは、富士プロパンの資産価値が上がることだ。社員が高いレベルの自覚と責任感を持つために年に1度は全社員一律に瀬戸市にある産業能率大学や中小企業大学等での学習を義務づけている。また、ガス製造、販売、保安サービスの各種資格の取得を奨励、これによって業者側に起因する事故皆無を続けている。給与体系も年功序列を一切排し、自己申告と評価表を発表して行われている。
西三河に息づく教育者魂
 早川守比古社長は、昭和24年生まれの55歳、身長180センチ余の体躯、そして柔軟な思考をなさる。お若いころバレーボールの選手で国体にも出場し、大学時代は名選手として名を馳せた。刈谷市にはママさんバレーのチームが40チームもある。選手としての経歴を生かして、その中のトップクラスの3チームの監督をした。監督の経験を通じて奥さん方の考え方を知ることができ、それが仕事に役立っていると言う。刈谷市小山郷の旧家、早川家は多くの教育者を生んだ家系と聞いたが、守比古社長にも脈々とその魂が受け継がれていると思った。
 取材を終えて東京へ新幹線に揺られながら早川社長の風貌を思い描き、知立の歌枕、「かきつばた」の歌を思い出したり、芭蕉翁の知立の句「不断たつ池鯉鮒(ちりゅう)の宿(しゅく)の木綿市」をくちずさんだりして帰ってきた。(注)芭蕉の句「池鯉鮒(ちりゅう)」は、知立の古い社(やしろ)・知立神社の放生池にすむ鯉や鮒にちなんで江戸の文人たちはこのように表記した。

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