藤井のガス栓が安全を保証 | ||
藤井合金製作所社長 | ||
藤井 良雄氏 | ||
ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <166> |
ガス栓のコックは英語のCOCK(雄鶏)で明治、大正期のガス器具のコックのつまみ部分には雄鶏のデザインがある。水道の蛇口やガス栓をカランとも言う。これはオランダ語のKRAANからで、わが国のガス事業が横浜や長崎の外国人居留地に始まった名残である。藤井合金製作所の藤井良雄社長は、明治期に藤井理助工場が製作したガスストーブのコックに鶏冠(トサカ)がある雄鶏のデザインがある写真を見せてくれた。 藤井理助は藤井良雄社長の父・藤井藤三郎の叔父で、明治13年に上京、東京ガスに入社し後に東京ガスの技師を務めた。 同34年、独立して慶応義塾大学発祥の地に近い東京市芝区新銭座町にガス器具メーカー、藤井理助工場を起こした。電話番号は藤井をもじって芝の2222の連番だった。父の藤三郎はここで修行して同42年に暖簾(ノレン)を分けてもらい兄と一緒に京都市東山区泉涌寺で創業した。 その後大正11年に藤三郎は兄と別れ京都市伏見区深草でガス栓製造を始めた。それから八十余年、藤井合金製作所はガス栓の多様なニーズに応え高機能化を実現、揺るぎない実績を築いたのである。 ヒューズガス栓とON/OFF式のヒューズガス栓 ガス栓や器具からホースが外れたり、途中で切れたりして大量に生ガスが漏洩する事故を防ぐため、昭和53年頃から大阪ガスや東邦ガスと共同で、ガスが一定以上の流量になった場合、ガスを遮断するガス栓=ヒューズガス栓を開発した。ガス栓内のボールが過大にガスが流れると浮き上がり、通過口を遮断する仕組みである。 このガス栓の普及によって安全性は格段に向上したが、ガス栓を半開状態で使用するとホースが外れてもガスが遮断しないことがある。この対策として平成元年、ON/OFF式のヒューズガス栓を開発・発売した。これは故意によるガス放出への対策としても有効である。 またLPガス栓メーカーにもON/OFF式のヒューズユニットを供給して現在LPガス用で市販されているヒューズガス栓の約半数は藤井合金製のヒューズ機構が採用されている。 ヒューズガス栓の登場以前に設置済みのガス栓に取り付けてヒューズガス栓と同じ効果を果たす安全アダプターを昭和58年に大阪ガスと共同開発した。 大阪ガス、東邦ガス、東京ガスその他の都市ガス会社で採用されたが、昭和58年11月22日に起きた静岡県掛川市のヤマハ・レクリエーション施設「つま恋」のレストランのLPガス爆発事故の後に既設のLPガス用ガス栓にも取り付けられるようになった。 平成2年からつまみの無いガス栓として迅速継手の接続・取り外しによってガスの供給をON/OFFする新しいタイプのガス栓=ガスコンセントをガス事業者三社とメーカー五社で共同開発した。 数々の技術賞を受賞 昭和60年日本ガス協会の「第27回大田賞」を天然ガス用安全アダプターの開発で受賞、同62年「科学技術庁長官賞」をガス栓開発で受賞、平成5年日本ガス協会の「技術大賞」をガスコンセントの開発で受賞した。さらに藤井良雄社長は、平成12年にガスの保安確保の功績で「通商産業大臣賞」、翌13年にはガス石油機器産業の振興の功績により「経済産業省製造産業局長表彰」、そして17年4月にガス栓の発明考案と開発育成により「春の黄綬褒章」に輝いた。 これら一連の受賞でも明らかなようにヒューズ関連開発は、ヒューズがガス栓に必須なものとして法規制され、保安に寄与したこと、またガスコンセントの開発が安全面に加え操作性、デザオン性、施工性に優れ都市ガス、LPガスの普及拡大に貢献したことがよくわかる。 大阪ガスの片岡社長や東京ガスの大田氏からの書簡 藤井合金のルーツである藤井理助工場の藤井理助氏への大阪ガスの2代目社長・片岡直方氏の書簡(明治45年)、東京ガスの大田賞の大田半六氏からの手紙(昭和3年)、新潟ガスの会津友次郎主事からの来信など全国の名だたるガス会社からの書簡を何十通も拝見した。みな墨書で達筆である。ガス会社のトップがコックの注文を早速に間に合わせてくれたメーカーヘの礼状など、昔の経営者がコックというガス供給機器にこのように熱い思いを抱いていたことを知ることができた。 また、これらの経営者に応えて藤井合金製作所は「一所懸命」を合言葉に自らの分野の「一流堅持」を目指してきた八十余年だった。 可能性に満ちたガスエネルギーと共に次代に挑む藤井合金製作所のさらなる研鑚を期待したい。 |
プロパン・ブタンニュース/石油化学新聞社(C)