エネルギーに大きな浪が来ている
佐藤興産社長 
佐藤一博氏


ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <170 >

 佐藤興産の佐藤一博社長をさいたま市大宮区三橋の同社事業本部に訪ねた。佐藤社長は昭和38年生れの42歳の青年社長である。一昨年10月、お父さんの賢二社長の急逝で3代目社長に就任した。
 先代は29歳か30歳で社長になり、自分が決めたことは正しい、自分は絶対だと昔ながらの手法だった。その下で常務として十数年やって来た。常務というのは実務の総責任者である。苦労がなかったと言えばうそになる。自分にはまだ若いが、息子が1人いる。彼が本気で社長をやると覚悟ができればいつでも社長を譲る。死んで代を譲るのは自分だけで十分だと言う。
 また、今の業態が全部残るとは思わない。LPガスも単体では生きていけない。シリンダーで運んでお風呂を沸かすだけではなくなっている。付加価値をつけいかにメーターをいっぱい回すかが問題だ。
 また、ガソリンスタンドも今日のようにセルフスタンドがはやると10年前まで誰が想像したか。今、燃料に大きな波が来ている。このような情勢の下でエネルギーから離れることなく企業を存続させて行けばよい。
 佐藤興産の発祥は、一博社長の祖父・佐藤幹吾さんが昭和25年、福島県須賀川から大宮市に来て燃料卸業・佐藤商店を開業したことに始まる。初めは木炭を扱ったが、昭和33年にLPガスを、34年には石油販売を開始した。一博社長は、燃料という公共性の高い、いい商売を始めてくれたと先祖の賢明な判断に感銘を覚えると言う。
資格社会
 わが社の従業員は約150人、うち90人が正社員、残りがパート、嘱託である。社員に現在の部署に永久にいられると思うなと言って、スタンドのマネージャーに販売2種や設備士の資格をとらせ、またガスの営業マンに危険物取扱者の資格をとらせるようにしている。年末はガスの工事は来年まわしとなり比較的に閑になる。これに引き替えスタンドの客は、車は満タンにしておかねばならないし、灯油は運ばねばならず大変忙しい。こんな時にガスの営業マンにちょっと灯油を運べと言うと、危険物の資格がないから運べませんではガス馬鹿という外ない。同じことは石油馬鹿もある。いざという時、1つの方向に向かって行く流れをつくるのが肝要。従業員に対してハードルが高いかもしれないが、やっている人には不満がない。形にしない人は駄目。会社がひとり儲けはしない、給料で還元するから費用対効果を考えようと訴えている。
石油販売
 ガソリンスタンドは、自社スタンド5カ所、卸先のスタンド7カ所計12スタンド、上尾市の1カ所を除き、すべてさいたま市内である。灯油販売はこの1年間(4~3月)で3万㌔㍑販売した。さいたま市三橋の事業本部には800キロリットルと200キロリットルの灯油の貯槽があり、昨年12月には5回転以上した。卸では県下の油屋さん100店ほどがあり、業務用需要家や、引き売り業者数件を擁し「灯油の佐藤」で県下に聞こえ、灯油販売で力をつけたと言える。だが、今冬の灯油販売は、「豊作貧乏」だった。
 先代の賢二社長は、業界トップとの取引を標榜して石油は日本石油、ガスはブリヂストン、住設機器は松下とブランド品メーカーの代理店になった。かくて佐藤興産の昨年度決算では総売上高約60億円の65%が石油部門の売り上げだった。ちなみにLPガス部門の売り上げは25%、器具・工事部門10%である。
LPガス販売
 佐藤興産のLPガスの需要家は3万5,000軒ほどであるが、うち35%が自社の直売で、65%は卸先の客である。卸先は県下にピークで100社ほどあったが、現在は60社ほどに減っている。廃業した者の客は概ね佐藤興産が引き受けている。
 前述のようにLPガス部門は、総売上高の25%ではあるが、今後会社のメーンとなる事業は、と問われるならば躊躇なくガス部門だと答える。かつて灯油の販売を材料にガスの販売店を増やした経緯もあったが、灯油をどう利用するかはお客次第である。これに反し、LPガスの利用形態は今後限りなく広がる。
埼玉県協会の青年委員長として
 護送船団方式の時代は終わった。一所懸命にやるガス屋を増やしたい。やる気のない人は青年委員会に出て来なくてよい。お店の規模の大小は関係ない。地域で企業を存続させ、LPガス事業を続けようという人が来ればいい。
 真っ当な商売のヒントがほしい。また、与えたい。そして、青年委員会は、1つの県の活動にとどまらず他県との連係を強めようと、関東ブロックの青年委員長の集いを始めている。

プロパン・ブタンニュース/石油化学新聞社(C)