先達の心意気を次世代に
神奈川県LPガス保安センター社長
近藤隆也氏


ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <178 >

 株式会社神奈川県LPガス保安センターは、今年4月1日に社団法人から株式会社に生れかわり、規制が緩和され諸々の事業を自由に推進できるようになった。株式会社保安センターの社長に就任した近藤隆也さんは、同保安センターの調査点検世帯数が最近、増加して65万世帯を超えたことは、新生・保安センターにとってまことに幸先がよいと話を始めた。
神奈川県保安センターの生い立ち 昭和48年、故井上明会長のとき神奈川県協会の各支部は調査点検事業を始めた。調査料は1,300~1,600円と支部毎に区々であった。昭和49年に都市ガス問題が起こり、そのころ会議は深夜に及び、帰宅すると朝刊が来ているといった具合だった。そのころ、神奈川県の環境部が「こんな風では保安が守れる状態ではない」と間に入って指導を強化した。このような曲折を経て昭和57年に保安センターを協会の事業部門として独立させ、神奈川県を一本化した。かくてピークでは県下120万世帯の調査点検世帯を擁した。これが今から10年前の平成8、9年を境にして4割が減少した。
LPガス法の改正、規制緩和の波
 平成9年、LPガス法改正時からLPガス卸会社が独自に調査点検を行う慣例が広がり、それをやらねば問屋にあらずといった風潮が生じた。また、小売店の廃業も目立った。かくてセンターの調査点検世帯数は減少した。保安センターの調査点検世帯の4割が減少したのである。だが最近、センターの調査点検世帯が65万世帯と増えているのは、センターに回帰し始めたことを物語るものである。
センターの6営業所
 神奈川県LPガス保安センターは、六営業所あるが、近々、横浜東・西営業所が合併して5営業になる。各営業所の調査点検世帯数は次の通りである。
 横浜西(10万世帯)、横浜東(8万世帯)、川崎(8万世帯)、県央(15万世帯)、横須賀(10万世帯)、湘南(15万世帯)。隣接する県外の地域の調査点検も行っている。東京都大田区、世田谷区、町田市、山梨県相模湖、都留郡、静岡県熱海市などである。
若き日の近藤社長
 昭和31年9月に行われた東京都プロパンガス協会主催の第1回プロパン講習会終了証書を近藤社長はいとおしくてならぬといった風に見せてくれた。都協初代会長・南野次郎氏の署名がある修了証である。
 近藤さんはそのころ目黒区中根町の清水製作所で夜間に働き、昼間は都立高校に通っていた。清水製作所の社長は後に都協専務理事をつとめた清水洋億氏である。清水製作所は、LPガスの調整器を作っていた。また、LPガスの販売も手がけた。近藤社長はここで6年間勤務した。そのころの若き日の近藤さんを本紙の記者が「ホープ登場」というコラムに描いている。この記事の印象が大変強かったようで、掲載紙を宝物のように大切にしている。近藤さんは東京での勤務の後、昭和37年に横浜市都筑区にLPガス販売の近藤商会を創り独立した。50年代の末には神奈川県協会副会長となり、広報委員長として、県協会の広報紙に「期待のエース」欄を設けて連載をした。取材される側から取材する側になったのである。
暖かい太陽の心で社会に貢献
 東京での若き日の近藤さんの話には、世和産業社長の滝本幸男さん、旭加工油の西宮誠さん、同堀内忠夫さん、大作厨房の大作一郎さん、東京安全ガスの田村裕一さん、調整器メーカーの日新機械の佐藤五郎衛門さん等々のLPガス業界草創期の立役者が登場して枚挙にいとまない。
 近藤さんは都筑区東方町でLPガスを販売する傍ら神奈川県保安点検センター社長、地元の町内会長、青少年指導員連絡協議会副会長、受刑者の補導士など多数の肩書きを持ち地域活動や青少年指導員を長く続けている。自分自身が学生時代、素晴らしい方々の温かい励ましで、プロパンガス会社に勤める傍ら勉強を続けられたのだから次の世代へ恩返しせねばと言う。
LPガスの協同仕入れと保安点検
 対談を終えて横浜の地下鉄みなと未来線の日本大通り駅に向かって歩みながら近藤社長が言ったLPガスの協同仕入れによるコストセービングと保安点検の話を反芻した。現在、保安センターの調査点検料金は、4年に1回で1,850円である。会員がLPガスを協同仕入れして10円/㌔㌘安く仕入れることができれば、需要家1件当たり年間2,400円安くなる勘定だ。そうすれば、4年に1回などとは言わず毎年点検をしてもお釣りがでるではないか、と近藤社長は言うのである。 

プロパン・ブタンニュース/石油化学新聞社(C)