LPガスの次代を担う経営者 | ||
フジオックス社長 | ||
藤本 孝雄氏 | ||
ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <195> |
フジオックス株式会社の藤本孝雄社長は、4代目の社長である。大正15年、東京府三河島に祖父・藤本源太郎が藤本源太郎商店を創業したのが嚆矢である。溶断器メーカーとして工場を経営し、酸素、アセチレン等工業用ガスを販売した。昭和28年に社名を藤本酸素株式会社に改称した。そして平成13年1月すなわち21世紀の始まりに「藤本酸素」は、「フジオックス株式会社」になった。【オックスは、oxygenの略】。 創業者藤本源太郎は厳しい人だったが、孫の私には特に優しかった。2代目社長の父・藤本弘二は旧陸軍航空士官学校出の硬派で仕事熱心だったが、昭和60年5月大阪出張中に急逝した。62歳だった。父の急逝で専業主婦だった母・藤本たみ子と若き日の孝雄社長が経営を引き継ぐことになった。このとき孝雄社長は、立教大学経済学部を卒業して東京都民銀行に入って4年が経過したところだった。母も自分も様子が分らないまま五里霧中だった。社員や周りの人、前社長の戦友に支えられた。そして母は、私が40歳になるまで「繋ぎ役を果たす」といって社長に立ってくれた。 その言葉通り13年間社長業を果たして平成10年5月に私に社長をバトンタッチした。母は今なお代表取締役会長として健在である。 生産・化学・生活の3事業部門 フジオックスは、今年3月期決算の総売上高は約95億円だった。販売分野は生産関連部門、化学関連部門、そして生活関連部門の3つの部門がある。 溶接溶断用ガスをはじめ電子機材・医療・食品などの生産現場で使用される各種高圧ガスを製造・供給する生産関連部門、液化塩素・塩酸・硫酸・次亜・カセイソーダなど無機化学品や有機化学品を供給する化学関連部門は埼玉県幸手に工場がある。家庭用、業務用、工業用、自動車用LPガスを供給する生活関連部門は、埼玉県越谷に充填工場があって東武伊勢崎線沿線を中心に関東一円に供給している。その売上高は、3部門がほぼ3分の1ずつとなっている。 LPガス部門の現状 昭和61年9月に幸手工場が竣工して創業60周年記念事業として竣工祝賀会が行われた。翌62年10月には越谷LPガス充填工場が竣工した。工業ガスの充填工場が幸手に移ったので越谷工場はその跡地で「フジモト市(いち)」と銘打ってLPガスのガス展と産業機械の展示会を同時に開催した。土、日の2日で2,000人を超える賑わいで活況を呈した。 ミスター・ビルドに加盟してリフォーム事業に注力したのもこのころからである。現在、越谷営業所にはリフォームデザイナーの女性と二級建築士を含む3人がリフォーム事業に従事して年商2億円ほどの売り上げを上げている。 コンプライアンス 先ごろ吉川市のわが社の簡易ガス団地で火災が発生、子供の死亡事故が起きた。事故原因は家族間のトラブルによる放火でありガスに起因するものではなかったが、この時もコンプライアンスの重要性をしみじみ感じた。 また、孝雄社長は、神奈川県スーパー銭湯のオープンに招待を受け、市長の挨拶も済み、来賓の皆さんに入浴してもらう予定となっていた。その時、ガスの調子が悪いと連絡があり、ガス業者としてお祝いの席にいて冷や汗三斗となった。結局、警備会社の信号遮断器のトラブルと分かり事なきを得たが、ガス業者の責任を痛感した。 ここに付け加えておくが、フジオックスは化学関連部門の滅菌用次亜、水処理活性炭、炭酸ガスなどを納入する相乗効果もあって、神奈川の他に埼玉、栃木、千葉などのスーパー銭湯八カ所にLPガスを納入している。 対談を終えて 孝雄社長は、ご自分の性格は経験主義・筋を通す・涙もろい。生活信条は、前向きに考え、前向きに生きること。関心事は、心理・カウンセリング・自己成長・教育。趣味は、スキー(一級)・ゴルフ(HD17)。 そして会社の目標は、規模だけではなく中味がユニークで質の高さを目指すと言う。記者はお話を聞きながら爽やかな印象を受け、LPガス業界の次世代を築く頼もしい方だと思った。 |
プロパン・ブタンニュース/石油化学新聞社(C)