(プロパン・ブタンニュース 2001/12/17)

岩谷産業社長 牧野明次氏
「前進、改革、挑戦」
 先代の開きし道を踏み固めわが齋藤寛はグランプリなり。
 先週開かれたGHPコンソーシアムの年次総会で岩谷産業の牧野明次社長がコンソーシアムの七代目の理事長に就任した。理事長としての初仕事は総会後の懇親パーティーの冒頭に行われたコンソーシアム恒例の「GHP販売事例論文コンテスト」の入賞者を表彰することだった。
 最優秀賞(グランプリ)が自社グループから出たことに感あって牧野さんは短歌一首をなした。牧野さんは自歌自注して、「先代のひらきし道」は岩谷直治名誉会長が始めたLPG事業である。「わが齋藤寛」は、今この人は岩谷住宅設備会社にいるが、もともと岩谷産業の人で、グループ意識を強調したと言う。
 「グランプリなり」は、GHPが単なる居住空間だけの空調機だけの時代は終わり、プロセス冷却、冷凍・冷蔵、機械設備冷却をもカバーする冷熱システム体系の構築が可能になったことを言外に含めたと言う。
 パーティーで盃を傾けながら牧野さんの自歌自注を聞いていたら岩谷直治会長のプロパン草創期の言動が思い出された。昭和30年代の初め岩谷産業がLPGで北海道に進出したとき、今はなき北海道の雄ほくさんの水島健三社長を訪ねた。このときの両者の話が面白い。
 水島  岩谷さん、あなたは北海道でプロパンをなんぼほどお売りになりたいのか。そこそこの量なら私が売って差し上げますが。と言ったのに対してすかさず、岩谷  北海道でマルヰプロパンを売ってやろうという客が1軒でもある限り、北海道に出て来ます。この対話に凛乎(りん)とした気迫を感じるのは筆者だけではあるまい。牧野さんの短歌「先代の開きし道」もこの辺の感じを詠んだものと思う。
GHPコンソーシアム理事長就任の辞から
 
GHPコンソーシアムは、この12月2日で設立15年を迎えた。この15年間にGHPは累計45万2千33台、容量にして4百48万2千650馬力、電力換算3百36万キロワット、(いずれも平成13年9月末現在)の普及を見た。このような大きな成果を得たのは、GHPがガス空調機として現行の他の商品や目下開発中のシステムに比し性能、コストともに優れているからに他ならない。GHPこそ他エネルギーとの競合においても、環境負荷が少ないことでもまさに時代が求めている商品である。GHPは、さらなる性能の向上を目指して、より高効率で進化した製品の開発に取り組んでいる。今後ともGHPの普及を通して業界の発展に尽くしたいと述べた。
 GHPはこのように優れているのに総合提案となると、すぐ引き合いにだされるのがコージェネである。パーティーの席でも2、3の人からGHPコンソーシアムはGHPにこだわり過ぎていないか。もっとコージェネや燃料電池にシフトしてよいのではないかと「アドバイス」があった。しかし、コージェネは決して万能ではないのである。空調のような季節変動型、気温依存型の負荷はあくまでもGHPの守備範囲であり、コージェネは安定的、高負荷型の負荷のみを対象とすべきである。このことは今回の論文コンテストの産業用部門の諸論文にもよく述べられていた。理事長が就任の辞で述べられたGHPの優秀性もそこのところを言っているのである。
変わらないリスクの方が変わるリスクより大きい
 「変わらないリスクの方が、変わるリスクより遥かに大きい」。この言葉は、今年6月に行われた「全国マルヰ会総会」と「全国イワタニ会総会・21世紀記念大会」で牧野社長が方針説明の演説の中で述べたものであるが、これこそご自身の意思とビヘイビアを的確に表現していると思う。
 牧野社長は昨年4月に社長に就任するや、11月には中期経営計画を発表、そして21世紀元年を迎えた。そして今年の年頭の辞では「この記念すべき新年の私のキーワードは改革とした。(中略)、今年は巳年、巳年生まれの年男である私は原点に立ち返り、挑戦者、開拓者の気概でミレニアムの第一歩を踏み出す覚悟」と述べた。
 牧野さんの経営思想を知る上で前記6月に行われた「全国マルヰ会総会」のあいさつに述べている事業課題とイワタニの方針を引くに如くはない。「大切なことはライバルの電力、都市ガスの価額が近い将来に一段と安価なゾーンに集約される。LPGはどうすればよいか。かつて石炭が辿ったようであってはならない」と述べ、「いま家庭用エネルギーの主役の座にいるLPGは競合する諸他のエネルギーに対し価額、安全性、利便性、環境負荷、サービス等の総合点でLPGの地位が決まってくるが、最大の課題は価額である」と言う。
迫り来るライバルに対抗するには
 牧野演説はさらに続く。「電力や都市ガス事業は製造から販売まで自己完結型であり、自由競争の名のもとにこの巨大組織と同じ土俵で戦わなければなない。彼らのターゲットはわれわれの末端顧客だ」。(中略)「それに対抗するには各地域が少しでも大きくまとまることだ。すべての単位を大きくして経営効率の高い、事業コストの低い企業形態でないと生き残れない。われわれを取り巻く環境は大きく変わってきている。前進し、改革し、挑戦しよう」と訴えた。
 牧野さんは一中隊長や一連隊長ではない。麾下(きか)に何個師団をも擁する軍司令官にもなぞらえられる人だ。この人が改革を標榜して大きくかじをきったのである。業界の新しいウエーブ・風を覚える。

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