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(2003/7/7 プロパン・ブタンニュース)

ミヤプロ社長
佐藤僖芳氏
リフォーム道場 無門館

  宇都宮市のミヤプロ社長・佐藤僖芳氏の「リフォーム道場 無門館」の門をたたくLPガス販売店が多い。関東近県だけではなく、福島、長野、岐阜、三重、石川の各県、遠く福岡や長崎県からの入門者もいる。何故そのように評判がよいのだろう。その極意を聞くべく宇都宮市のミヤプロ本社に佐藤社長を訪ねた。
 ミヤプロは昭和三十一年に僖芳社長のお父さん佐藤順氏が創立した会社である。僖芳社長は二代目社長で、昭和十六年生まれの六十二歳、学習院大学経済学部出の働き盛りである。
 僖芳社長は開口一番、わが社の八千軒の顧客は毎日、他社からメチャクチャな安値攻勢をかけられている。それでもわがお客さんは動こうとしない。同業他社と比べて商品の品質もサービスも同じならばあとは値段しかない。だが、サービスの質が天と地の差があればお客は納得する。それだけではない。お客がミヤプロを大事にしてくれる。
 ミヤプロは社員三十一人、他にパート十人で年商十億円、その殆どがLPガスの直売、卸は数件に過ぎない。然しながらLPガス販売事業が成熟期に入ったという認識で、新たに収益の柱となるリフォーム事業を始めた。本格的に取り組んだのは平成九年からで、以来六年間年々六千万円ずつ売り上げを増やしてリフォーム事業の売り上げは年間三億六千万円に達した。栃木県全域でかと問えば、宇都宮市の南部の限定された地域だけと言う。
 ミヤプロはあと三年経つと創立五十周年を迎えるが、それまでにはリフォーム事業で年商五億円を超えるようにしたい。そうなれば宇都宮のリフォーム業者のトップクラスと言う。
 リフォーム事業の規模だが、宇都宮市の人口は四十四万人、人口一人当たりのリフォーム費は、年に三万円が定説である。したがって宇都宮市のリフォーム事業規模は百三十億円ということになる。これだけの潜在需要を有効需要として獲得するのにLPガス販売業者はリフォーム事業に向いているかと言われれば必ずしも適しているとは言えない。プロパンは「待ち」の商売で、リフォームは「攻め」の商売だから。
 佐藤社長はこのように逆説的表現をしてLPガス販売店がリフォーム事業を始めるに際してのこころえ、ご自分の会社での経験を集約した貴重なノウハウ、さらにリフォーム事業の「極意」に及んだ。リフォーム事業には水、湯まわり、外壁、屋根等があるが、プロパン業者がやる場合、水、湯まわりから入るのが順当だろう。ミヤプロは「ヤプロ会」(ミヤプロ会ではない)と称する三十数社の協力業者の会を作って、ミヤプロが元請けとなってこれらのメンバー会社に分離発注している。まる投げはしない。
21世紀のキーワード
 @事態の進行が圧倒的に速く、スピードの一語をもってその特徴を表せる。
 A個別対応に徹しなければならない。お客一人ひとりが全部別々である。リフォーム・イベントを開催して、その招待状やお礼状を二百組ないし三百組のご夫婦に出すが、その案内や礼状をもらったご夫妻が喜び、ミヤプロに好感を持ち忘れ難くなる書簡の実例をたくさん示してくれた。
 B二十一世紀は否応なしに価額競争にまき込まれる。
 C二〇〇七年を境にわが国の人口が年々歳々減少して、顧客の争奪が顕著になるというかつて日本人が経験しなかったことが起こる。
 これらに対処する方途は個別対応しかないという。「リフォーム道場 無門館」の講義はこれを「本物の顧客第一主義」「値引きされない見積書の作り方」などミヤプロでの実例で語られる。
 そんな面倒なことをやっていられるかと匙を投げてしまう人もいるようだが、佐藤さんは行者僧の辻説法よろしく飽きずにお客への個別対応を説き続けている。
社長の仕事は社員教育
 お客さんに接するのは社員だから社長の仕事は社員教育だと割り切ってそれに専念している。そして「無門館」を開いたりしたので全国各地に出かけてリフォーム事業の講演を頼まれる。そして先生と呼ばれる度に気をつけよと自分に言いきかせている。こんなことで奢りの気持ちが自分の中に少しでも生じたらいけないと自らを戒めていると言う。
 創業者であるお父さんの佐藤順さんは栃木県烏山町の校長先生だった。お父さんの教育者としてのDNAが僖芳社長に受け継がれているのかも知れない。
 父は栃木県協会長もした。父のように支部長や協会の役に就けと言われるが、自分はその任にあらずと思っているが、「無門館」は業界への恩返しの一つと考えてリフォームのノウハウを積極的に公開していると述べた。

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