(2004/4/26 プロパン・ブタンニュース)

サウジ走り書き  石油王国に忍び寄る危機
昭和経済研究所 アラブ調査室研究助手 鈴木 健氏
 三月十八日から二十九日まで、私は外務省の募集した「第四回日本・サウジアラビア青年交流使節団」の一員としてサウジアラビア王国を訪問した。使節団は、早稲田大学イスラム科学研究所の保坂修司客員助教授を団長に、NHK報道局国際部と共同通信社編集局経済部の記者、出光興産と昭和シェル石油の社員、愛知県の建設会社専務、調布市教育委員会職員、高校教諭、筑波大学大学院生と私からなる十人である。

■ホテルにバリケード
 私を含む多くの日本人がサウジに抱くイメージはお世辞にも良いとは言えない。二〇〇一年九月十一日の米国同時多発テロの首謀者とされるウサマ・ビン・ラーデンと、同時多発テロの実行犯十九人のうち実に十五人がサウジ出身者であったと言う事実からも「テロの温床」「危険な国」というイメージは拭えないだろう。そして、もう一つのイメージはオイルパワーを背景とした巨万の富をもつ「金持ちの王国」と言う点ではないだろうか。
 日本を出発しサウジ行きの飛行機に乗り換えるためにフィリピンのマニラ空港に足を踏み入れた時から、今までと違った雰囲気を感じ取ることができた。サウジ行きのフィリピン航空PR431便に乗るために待っている人々の服装と匂いである。女性たちは頭からイスラーム独特の服装を纏い、ほのかに香の匂いがした。この中にテロリストがいたらどうしようという不安感に襲われながらも、私たちは無事、リヤド空港に到着した。
 サウジ政府の代表者が空港に迎えに来ているという話だったが、時間にルーズと言われるサウジ人、どこを探しても迎えはいなかった。空港の荷物検査は非常に厳しいものであると聞いていたが、私たちは特に荷物を開けられることなく税関を通過することができた。やっとのことでサウジ政府の代表者を発見し、空港の外に出ることができた。
 初めて肌で感じるサウジの風は生温かく、なんとも嫌な感じであった。空港の外には深夜であるにもかかわらず、警備兵がうろうろとしていた。リヤドでの滞在先であるホテルまでの間、何カ所かの検問を抜け街中に近づくと、日本でイメージしていたサウジとは異なる世界が広がってきた。
 ディズニーランドを思わせる遊園地、マクドナルドにKFC、そしてトヨタやGM、フォードなどの自動車販売店。本当に閉鎖的な国と言われるイスラーム国家サウジなのかという自問自答の時間が続いた。ただ、アラビア語で書かれた電飾の光が、ここが紛れも無くサウジであるということを私に教えてくれているようであった。
 ホテルに到着すると、再び私は驚かされた。周りをぐるりと囲むコンクリートのバリケード。サウジ人に質問すると、ホテルに突っ込んでくる自爆テロの車を阻止するためらしい。不安感にさいなまれながらも長旅の疲れか、ぐっすりと眠ってしまった。
■沙漠のごみとバギー
 目を覚まし、恐る恐るホテルのベランダの窓を開けると、そこには昨夜とは打って変わった風景が広がっていた。イスラーム建築方式の高い建物と道路にあふれかえる車の山。気温は肌寒さを感じるが、太陽の日差しはとても強かった。サウジ側の案内で今日は沙漠ツアーである。バスが走り出すと、昨夜のネオン街とは打って変わり、ペルシア絨毯の専門店などアラブらしさが車窓から見えた。
 リヤド近郊は開発が進んでいる。そのため、沙漠はしばらく車で走らないと見ることができない。だんだんと短い草がまばらに生え、岩や小石が散乱する景色となり、時折ラクダの姿を確認できた。サーカス小屋のような小さなテントもぽつぽつと見えた。同行のサウジ人に聞いてみると、サウジ人は時々、家族を連れてこのような場所で何日か暮らすのだという。遊牧民族であった祖先を思い出すためだそうだ。そんな話をしているうちに目の前には沙漠が広がってきた。
 そこで私たちはショックを受けた。それは地平線の見えない沙漠にでなく、沙漠が余りにもごみだらけだったからである。車から降りると、ごみがいかに多く散らかっているかが良く確認できた。空き缶やスナック菓子の袋が大半であったが、動物のモノであろう骨もあった。もう一つのショックは沙漠の暴走族と映るバギー軍団であった。私たちが徒歩で沙漠を進んで行く真横に近寄ってくるサウジの若者たち。バギーは紫や青の回転灯を付けたもの、マフラーや塗装を変えたものなど様々で、大きな音をたてて砂を撒き散らし、不快感を与えるところは日本の暴走族に似たところがある。
■裕福さと心の空洞
 沙漠には所々に草花がたくましく育っており、スカラベと呼ばれる昆虫が器用に砂の上を走っていた。気がつくと三百六十度果てしなく広がる沙漠に時間を随分と奪われていた。オレンジ色の夕焼けと地上の赤茶色の沙漠とが言葉では表せない幻想的な世界を創り出していた。幻想的な世界を後にすると、不思議な世界が待っていた。砂漠に溢れる四WD車の山である。今度は四輪のサウジ版暴走族かと思って質問してみると、まんざら外れてなかった。彼らは高出力の車で沙漠の斜面を登りきることを自慢しているらしい。トヨタのサーフ、三菱のパジェロ、フォードやGMのピックアップトラックの中で、ベンツやレクサスなどの高級車も挑戦していたが、やはり四WD車以外では登ることができない。登りきった車は誇らしげに沙漠の斜面の頂上に一列に並び、登れなかった車を見下しているようにも見えた。聞くところによると、この行為は沙漠でのバギーレースと同様、サウジ人の娯楽らしい。サウジ人とは何とのんきで暇な人々であろうか。
 その後、サウジ側の予定していた日程は、キング・ファハド国際スタジアムやサッカークラブの見学であった。何より驚かされたのが王族用の特別室であった。天井や床、ティッシュのボックス、トイレも金張りであった。
 今回のサウジ訪問は短期間であったが、多くのサウジ人と接し、彼らの生活を垣間見て感じたのは、彼らは裕福であるが、心の中に何か空洞があるのではないかという点である。理由はサウジが産油国になって以来、急速に経済成長を遂げすぎたからではないか。「成金」という言葉があるが、見た目を豪華にして他人に自分の偉大さを見せ付けているようにである。
■深刻な高い失業率
 一方で、サウジ人は祖先の暮らしと文化を重んじ、回帰したがるそぶりがあった。ところが、働かずに暇を持て余してもいる。ホテルの従業員からタクシーの運転手に至るまで、主たる労働者はインドやパキスタンなどから来た外国人労働者である。サウジ人はアラビアコーヒーか紅茶を飲みながらシーシャと呼ばれるイチゴなどの色々な味のする水パイプのタバコをのんびり吸っているだけである。
 石油の恩恵で経済的に豊かになったことが果たして良かったのか。彼らは富を得たが、結果として大切な何かを失ってしまっているのではないか。急速な経済発展の代償として日本人とは何かを失ってしまったように。サウジ人が日本に対して持っているイメージも同様で、日本人はどんどん欧米化し、本来の姿を失ってしまっていると私に指摘した。
 サウジ政府の役人は、私たちに今後もサウジは進歩し続けると言い切った。よって、日本の企業も積極的に広大な土地と労働力を持つサウジに投資をするべきであると述べた。半面、彼らにサウジの将来のビジョンを尋ねると誰一人答えることはできなかった。なぜなら政府関係者も理解できないほどにサウジが日々変わっているからであろう。
 日本が高齢化社会を迎えた中、サウジは年三%を超える勢いで人口が増加している。一方で失業率は推測で一五%もあるとされ、若年層の失業率は二五%、新卒者では五〇%に上るとの見解もあるほど、人口増と失業が深刻な問題となっている。今後、サウジがさらに進歩を遂げようとする時、改革派と急進派との政治的対立だけでなく、こうした社会問題によって何かしらの混乱が起きるのではないかと感じた。