(2004/9/20プロパン・ブタンニュース)

尹 宣海
(ユン・ソネ=通訳・翻訳者、国際交流研究所研究員)

家族 

最近、親戚が韓国から日本に遊びに来て、私の部屋に泊まった。父方の遠い親戚で、何年か前に親戚の結婚式に一度会ったくらいである。しかも4人家族だという。4日間、どこか旅行でも行ってようかと思ったが、仕事があってとても無理だった。そして、4人はやってきた。
 予想通り私の生活は彼らに主導され、しかも時間が空いているときはガイドまでする羽目になった。長い4日間が過ぎ、やっと自分の時間が過ごせる、と思ったら、今度はお婆さん(母方)が入院したから顔を見せろ。泣きたかった。自分のことで精一杯なのに。
 渋々2日間、韓国に戻った。幸い、祖母は大事には至らず軽い症状だった。年寄りだから入院しているだけだ、といわれホッとしたが、そこで不思議なものを見つけた。患者のベッド以外、もう1つ小さいベッドがあった。祖母は2人部屋だったが、1人部屋には勿論、6人部屋にも小さいベッドがついていた。韓国の病院では常に誰かが傍にいて、寝泊りをしながら患者の面倒を見ることが当たり前だ。勿論、日本と同じく看護士が待機しているが、やはり家族が傍にいてくれた方が患者には心強い。今まで気づかなかったことは、それが当たり前だと思っていたからだろう。
 空の旅の疲れもあって、祖母が眠ってから家に戻った。すると、あの親戚が家に来ていた。ムーッとしたい気持ちだったが、笑顔で挨拶をし、座るとあの親戚が突然こう言った。「この子は叔父(私の父)の自慢の娘だよ。また、家系の自慢だね。ありがとう」。その言葉で父の顔に花が咲いた。母も笑顔だった。そして、親戚は兄の家族を呼んでくれた。
 その夜、父と母の幸せそうな顔を見て、また親戚の心から感謝している、との言葉を聞き、家族の輪を感じた。病室の小さいベッドも、親戚同士の行き来もすべて家族があるから。助かることだってある。迷惑をかけることもかけられる事も、家族だから可能なのかも知れない。